うめちゃんからの手紙 2018 No.088
今朝もマリーちゃんはよく眠れたようで、すごく疲れが取れ感激したと言っていました。
私の家には朝ご飯の間はテレビをつけてはいけないというルールがあります。
どの家にも同様のルールはあるようですが、我が西秋家にこのルールが導入された経緯は、他家の行儀が悪いからという理由などとは一線を画しています。
私の家族はびっくりするくらい議論が好きで、朝の時間帯にテレビでやっている番組はニュースが多く、朝食をとりながら議論を始めてしまうと仕事や学校に遅刻してしまうからという理由からです。
コタツをいつしまうかという議論を長期間にわたりつづけ結論が出たのが4月というとんち話のような年もありました。
テレビがあってもなくても結局家族全員が顔を合わせ食事をとる時間帯は議論が発生してしまいます。
今朝はマリーちゃんが私の実家だと良く眠れるのはなぜだろうかという事を結構な時間話し込んでいた気がします。
祖母は木造の家はやっぱり休まるからだよという説を唱え、
祖父は和室のイグサの匂いは快眠効果がある気がするという説を、
母は休み中に泊まりに来ているから学業や仕事のプレッシャーが少ない分良くの眠れるのではないか?と考察、
私の父は私と日中遊んでいるから楽しい気分で床に就けているからかもねと言いました。
私はどれも正解な気がしますが、母のプレッシャーが日常よりも少ないからではないかという考察を支持したいなと思いました。
日頃は時間に追われ時計の針が文字盤の数字を指すのではなく、何か別のものを突きせっついてくる存在のようにも思えます。
さて当の本人のマリーちゃんが言うには寮生活の毎日は朝ご飯を食べるメンバーとテーブルの場所が決まっていたり、朝周りの部屋から聞こえて来るドライヤーの音のそうがましさ、無意識にルーティン通りに行動し、普段はその繰り返しのおかげで日常を逸脱しないという安心感はあるのだけれど、確かに起きた瞬間から様々な事を神経が意識する事から始まり、睡眠がスイッチのオンオフのような行為になってしまっているのだと言っていました。
旅行中や休みの間は朝起きてみるまでわからない事も多く、寝る前も起きてからも考える事が少ないから楽なのだと言っていました。
普段はリズム良く日常を刻んでいかなければいけない緊張感があるのは確かです。
休み中は即興演奏。
考えてみれば朝ご飯を食べるテーブルやメンバーの事を考えなければいけない寮生活は大変な気もします。
眠る事の楽しさは明日何が起きるか分からないというワクワクを内包していることも重要だと私は思います。
明日になってみるまでわからないという不確定さが明日に期待を持ち割り切っていける理由です。
言い換えれば、明日に起こる事が決まってしまっている日の夜ほど憂鬱なものはありません…
脳裏に毎日必ず繰り返される寮の朝ご飯という社交の気づつなさのようなものが数パーセントでも眠りの質に悪い影響があるのかもしれません。
あまりにナイーブでは立ち行かなくなってしまう気もしますが、寮生活が続けられなくなり辞めていく学生が年に数人はいるのも事実のようです。
今日も昨日に引き続きマリーちゃんとカメラを持って1日を過ごしました。
丸太町周辺をぶらつきその後桜湯にも入ってきました。
私とマリーちゃんがフィルムカメラを持って市内を歩いていたのが色々な人の目を引いたのか、時々話しかけられる事がありました。
私達より一回りくらい上のお姉さんが大きなペンタックスのバケペンというカメラで撮影されていて、少しだけ会話をしました。
そのお姉さんはフィルムで撮影しているけれど暗室作業まではしていないそうで、もったいないなぁと思いました。
今日はゆっくり過ごしました。
明日は叡山電鉄に乗ってこようと思います。
皆様が良く眠れますように。
うめこ
今日の一枚 – アーカイブス
結構綺麗に撮れていた写真が出てきて驚きました。オリンパスのレンズはすごいなぁ。
今日の一曲
Nujabes feat Shing02 – Luv(sic) part 4 + Lyrics