うめちゃんからの手紙 2018 No.146 活躍したくはない田中さんの価値観。

うめちゃんからの手紙 2018 No.146

うめちゃんに手を振るマリーちゃん。

うめちゃんからの手紙 2018 No.146

今日はお絵かき教室がなく家庭教師の田中さんだけの日だったので比較的楽な1日でした。
私のお絵かき教室が午前中に無い週は田中さんのお宅にお勉強に行く事が多くなりました。
朝8時に田中さんのお宅に集合しお昼前まで勉強をします、そして勉強の後は田中さんが私たちにお昼ご飯をご馳走してくださいます。
今日は田中さんが自主的に研究し極めてしまったとおっしゃって出してくださったごぼう天うどんでした。
ごぼう天は福岡のソウルフードだそうで、本州や讃岐などで食べられているうどんとは異なり、麺自体のコシ、出汁なども少しずつ異なるようです。
田中さんもはるちゃん同様に麺類がとても好きなようです。
考えてみればマリーちゃんもラーメンが大好きなので私の周りは麺類好きばかりですね。
私もご多分に漏れず麺料理は大好きですが、やっぱり一番は普通の白ご飯です。
上手に白ご飯が炊けただけでとても幸せな気持ちになれます。
以前から何度かお話しした事があると思うのですが、私の両親はお米へのこだわりが強く季節ごとに四国、新潟、能登、そしてお隣滋賀県のお米と使い分けています。
私はその中でも四万十川中流域で作られている四万十米/仁井田米を愛しています。
都合がつけばいつか田中さんとマリーちゃんやはるちゃんにもこのお米を食べさせてあげたいなと思います。

お昼ご飯を食べながらマリーちゃんが今週の火曜日には新しいApple製品が発表されているだろうね、どのような新製品が出るのか気になるねと話していました。
田中さんはおそらく何も出ない気がする、あまりに早いペースで新製品を出す事はブランド自体の陳腐化を加速し、結局は消費者も企業も疲弊する時代になってきていて双方が損をしている気がするとおっしゃっていました。
田中さんの分析ではアップルというのは色々な意味で先進的な企業で、今ちょうどハイテク企業としての過渡期に立っていて、エシカルな製品作り、そしてCEO自らが同性愛を公言しLGBTの社会での地位向上、そして自社の製品の陳腐化への疑問の投げかけを他の企業よりも早く始めているのだそうです。
同様の製品を使う他の企業に比べるとアップルは5年も前のハードウェアでも最新のオペレーションシステムが導入できるなど、製品のライフサイクルが長い事も支持されている理由なのだそうです。
田中さんはこれは素晴らしいことではあるけれどアップルは消費されるものを作るところから変革しゆくゆくは、個人の思想や、国家の政治、そして教育に深く関わって個人の考え方を形成していこうとしている企業でもあるから、すごく怖いと警鐘もならしていました。
ただミクロであれマクロであれ、それがどのような製品であっても消費者は企業に対し時に宗教観のようなものを見出したり、生涯を通じて財産を投げ出してまで愛し続ける人がいるのはアップルに限ったことではなく、私の母が愛するライカなどでも同様なのでは無いでしょうか?

何かが火をつけたのか田中さんが饒舌になり、一億総活躍社会と日本におけるフェミニズにも物申したいと熱心に語り始めました。

田中さんは女性の社会進出には賛成だし、性差によって待遇が変わることはあってはいけないし、個人の能力が本人が幸福な形で活かされる社会になることは大事だと前置きをした上で、「やっぱり綺麗事だと思うよね。私はどっちかというと活躍したく無いからね。天邪鬼だし。勉強をするのだって社会のためではなく、キャリアのためでもなく単純に自分の知的好奇心を満たすためだけだもの。将来会社とか大きな集合体のために自分の智を活かしたいとは一ミリも思わないもの。早い話が言葉遊びで、人材が欲しいわけよ。女も男も労働力として社会に出ろって言っているだけでさ。労働人口も増やしたいしそれに消費人口も増やしたいっていう皮算用だし。まったくもって家庭内で頑張って家事をしている女性を評価してないんだよね。あれはダメだ。家事だって立派な仕事だし、全員が働きに出た時その家事を誰がやるのか?ってなった時に外国人の介護士の次に外国人乳母ってなってくるのかもしれない。でもそれは間違ってるよね。結局国外から安い労働力の女性連れてきて彼女達を買い叩いているだけで、女性蔑視の構造は一切変わってなくて、国内の女性から国外の女性蔑視する対象と安い労働力に切り替えているだけだもの。さらに定年退職年齢引き上げと年金受給開始年齢を引き上げようとしてるよね。馬車馬のように生涯働かせて年金で支払うお金も減らそうとしている。それって私は幸せじゃ無いと思うのね。いい加減家庭を顧みないで社会に出ている時間が長いこと労働時間が長いことを美とする日本の価値観は崩れ去って欲しいわ」とおっしゃっていました。
それにはマリーちゃんも思う事があったようでところどころ納得したり首をかしげていました。

近未来像やバリバリ仕事をしている企業戦士像のようなものに私も違和感を覚えていたのも事実で、私自身の事に限って言えば私は本当にインターネットに疎く時代に逆光している人間だと自己分析しています。
例えばインターネット以外のスキルがあり今までは活躍できたような人材でもインターネットを絡めなければ仕事として成立しないケースが増えていく気がしています。
私は英語が人よりも得意なので英語を仕事にしようとした時、翻訳であればやっぱりパソコンで文字を打ち込んでそれをメールなりで依頼者に送る必要があるでしょうし、テープ書き起こしのようなお仕事だって納品方法は同じことでしょう。
お米を作られている農家の方達も、お米がどのように作られているか消費者と共有したり、オンラインショップを運営したり、兎にも角にも情報化と可視化が過剰に求められていると言っても過言では無い気がします。
田中さんのお話に少し似ているかもしれませんが、必要無いところに無理矢理押し込んでお仕事を作り出しているとも言えなくもありません。
もちろんお米の安全性などの情報を知ろうとする消費者にとって学ぶことや興味を示すことで、農家の方も同業者との差別化も図れますし、一定のやりがいのようなものが生まれるかもしれませんが、最終的には疲弊してしまうのでは無いかと私は危惧しています。
最たる例として、お米を作っている土壌の状態と上下流水域の水質データを逐一インターネットで公開されているグループなどもあるようで、まるで工業製品、否それ以上に神経を張り詰め作られているのだと思うと、一粒一粒に魂が宿っているとはよく言ったもので、今の時代においても一粒一粒に切磋琢磨と農家の方々の消耗の上に成り立っているのかもしれないと思うと美味しくいただくだけでは駄目で苦しみもわかち合わなくてはいけないのでは無いか?という強迫観念まで生まれてきそうで怖くもあります。もちろん最大限の敬意と感謝も示す事は大事ですが…
結局の所ここにも根底には大量に安いものが市場に溢れるようになり、消費者にとってその価格が当たり前になった結果生産者達も破壊された価格を維持するために軽佻浮薄に他者を出し抜くためにズルをしたり、勝手にブランドを盗用したりする人が生まれ、消費者が生産者を信用しなくなったことに端を発している気がします。

お互いの心の冗長性のような、ええんやで精神のようなものもデジタルの発展とともに生き残り大事な核として存在し続けて欲しいなと思いました。

うめこ


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