うめちゃんからの手紙 2018 No.019 取説をきちんと読む。

うめちゃんからの手紙 2018 No.019

バイト先に到着したうめちゃん。

うめちゃんからの手紙 2018 No.019

昨日から田中慎弥さんの孤独論という本を読み始めました。
読書が好きなのですが最近はハウツー本の類の本ばかりを読んでいたので久しぶりに以前までの読書に戻ってきた気がします。
カメラやパソコンのハウツー本も実は結構好きでよく読んでいます。
常連さんや仕事場のマスターには説明書を今時最初から最後まで読み返している子は珍しいと言われたのですが、説明書がついてきたりハウツー本がでている以上私以外にもきちんと需要があるわけで、メーカーや出版社もきちんと読んで欲しいと思っていると思うわけです。

でも私以外の人達の間である一定のユビキタス的、”一般的な使用感”だれでも雰囲気を掴めば使いこなしていける感のようなものがある事も私は認知しています。
私は持っていないのですがスマートフォンはアップルという会社でもグーグルという会社のでも電話機のマークの緑色で通話、赤色で終話と言った具合。
面白いのがスマートフォンのカメラ、デジタルカメラなのやけれどフィルムカメラのフォルムを意識した絵が描かれたボタンを押す事でデジタルカメラとしての機能が使えるようになる事ですね。
ある種の精神的な保険のようなものかもしれません、免許制度があるような車は会社が違ってもアクセルとブレーキそしてハンドルは今の所普遍的なわけですし、免許がいらないものでも一定の似通ったメーカーごとにお互いに歩み寄った共通の使用感のようなものが必要なのでしょうね。

宗教が違えど不思議と体感的にあぁここは宗教施設なのやろうなとわかるものがあったり、トイレに行きたくなって街でふらりと入ったコンビニのあっここはトイレがなさそうと感じる第六感的なそれなども。
宗教施設には非日常的な荘厳さや迫力のようなある種の演出のための装飾があり、トイレがあるコンビニには共通した利用客へのホスピタリティの良さをアピールしている雰囲気のようなものがある気がします。
それぞれに求められているもの、できない事をはっきりと、時にはステレオタイプを利用するような形で利用者に暗喩的に訴えているのかもしれません。

日記や手紙というものもある意味私自身の取説なのかもしれないと考える事があります。
前者は他者に読まれる事が少なくプライベートなもので、自分のために自分で作る取説、そして後者は他者やのプレゼンテーションも込められている取説。
電化製品なども豊富な機能が詰め込まれていて、取説には丁寧に様々な使い方が紹介されています。
キッチン家電に至っては本来は必要ないであろうレシピまで書かれたものもあります。
手紙は自分が編集者となって自分の概念のような、相手にこう解釈して欲しいという編集が加えられ、ある意味読み取り手にとっては不必要な”あなたのそこまでは知らなくてもいいかなぁ”という事まで書かれているのかもしれません。
家電の取説において最も大事なのはその機会に求められる仕事を安全に簡単にそして手っ取り早く購入者が使える状態になるという役割です。
電子レンジであれば安全な使い方危険な使い方、冷えた食べ物の温め方、これがわかればあとはおまけなのかもしれません。
でも取説にはそれ以上の事も書かれていて、不思議と読み進めてしまう魅力もあるのです。
”故障かな?と思った時は”ページはもちろんしっかり読むのですが、薄めた中性洗剤、少し湿らせ固く絞った柔らかい布で優しく拭く、など家電が違ってもよく見かける文章を見かけた時はくすりと私は笑います。

私自身を擬人化ならぬ機械的な、コモディティ的に考えてしまった場合、私の安全な使いかた、お手入れの方法、やってはいけない事、=”冷めたご飯を温める仕事”的な私に一番求められるお仕事は何に当たるのだろうか。私の説明書があった時、読んでいる人はどのページを読み飛ばしていくのやろうか…

そんな事を今晩は考えてみました。

うめこ


今日の一枚

LEICA M10 , APO-SUMMICRON-M F2/50mm ASPH.


今日の一曲

Amy Winehouse – Valerie – Live HD

Amy Winehouse – Valerie


今日の一冊

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