うめちゃんからの手紙 2018 No.020 何も学べなかった写真展。

うめちゃんからの手紙 2018 No.020

いざ東京都写真美術館へ!

うめちゃんからの手紙 2018 No.020

両親が東京に来ています。
今日だけ父は泊まり、母は火曜日まで東京にいます。

今日は朝一番でヨガ教室に行ってきました。ヨガ教室の後、いつもと同じようにマリちゃんと家電大好きお姉さんとコーヒーをしばき今日はそこでマリちゃんとも別れました。
マリちゃんは寮のイベントがあるそうで今日は久しぶりにシンシンちゃん達とショッピングとかにも行くそうです。

私は美術展や写真展を見に行く時ははるちゃんとマリちゃんも誘うようにしています。
今日は私の両親も一緒ですが、はるちゃんも写真展に誘いました。
休みの日なのに横浜から来てもらうのも気がひけるといえば気が引けますが、かといって誘わないのも気が引け、堂々巡りをしてしまうので最近は私の予定をきちんと伝えるようになりました。
学校もバイト先も一緒なので今更という事です。

今日は母がずっと見たいと言っていたユージンスミスさんの写真展を見に恵比寿にある東京都写真美術館に私の両親と私、はるちゃん、はるちゃんのお父様の5人で行ってきました。
はるちゃんのお父様もユージンスミスさんの有名な水俣病シリーズ、シュバイツァー博士ポートーレート、コロラド州の医師に密着取材をした「カントリー・ドクター」シリーズの写真を見たかったそうで、休みをあわせてくださり珍しくはるちゃんのお母様ではなくお父様が今日は一緒に来たのでした。

写真展の率直な感想は、何も学ぶ事はありませんでした。
あまりにすごい写真で私の考えようとする力が及びませんでした。
なんというか。。。目の前でメジャーリーグのピッチャーが160kmのピッチングを見せてくれて、こうやって僕は投げてるんだよ、参考にしてよ!と言われたような衝撃でした。理屈ではあぁなるほど、どおりで160kmなんて速い球がなげられるんやーと分かっても私には投げられませんし、同じような練習をしてみようという気は起きません。
私の中の道徳心や社会通念、経験、持ち得る知識や言葉が頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返し、展示室を出た時にはどっと疲れてしまい必死に展示を見たという記憶が一番に残った写真展でした。
今はまだ学ぶ事がなかったと書こうと思ったのです。
しばらく消化に時間がかかるなぁと思った写真展で、時間をおくとフラッシュバック的にこの展示を思い出し何か少しは考えがまとまってくる気もします。
圧倒的に綺麗なプリント、誰かが必ず記録しなければいけない公害、戦争、労働者の生活、どの作品を撮ってもある種の教科書的であり、でもある写真では絵画的な構図が取られていて、撮影した時のユージンスミスさんの演出のようなものも見えてしまったり…焼かれたプリントにも覆い焼きをしたり焼きこみをした感じもあったり。
うまく言葉にはできないのだけれど悲惨な事象を作品にしようとした意志のようなものを私は感じてしまって少し消化不良になっているのです。
でもそれはいけない事ではないのかもしれません。
デジタルカメラでもフィルムカメラでもカラーで撮った場合実際の色とは違い思い出色という言葉があるくらいなのです。
見たままを写したつもりでも使用した機材によっては写りが極端にドラマチックになってしまったり、逆に記憶や人間の目以上に鮮明に写し取ってしまったりする事はあるわけです。
例えば労働者の10歳にも満たないであろう子供がいたとして、その子が主題であれば周りを焼きこみその子がポッと画の中心に浮かぶようにプリントしても”許容”してもいい気はします。
見る側も撮る側も一番知るべきはその子供の労働者なわけです。
危険な作業、劣悪な環境、時代がわかるものなどを配置しそれらもはっきりと見えるようにプリントする必要があるかと言われれば必要かもしれませんが、そこまで行くと蛇足なのかもしれません。

アーノルド・ニューマンさんの有名な写真「イゴール・ストラヴィンスキー、作曲家・指揮者」も構図の妙技が見られる作品として有名です。
元々撮影されたネガもシンプルなものなのですが、さらにトリミングされ引き伸ばされている写真で、情報量が削ぎ落とされ引き算の洗練美を体現するような作品です。
一見抽象画のようなシンプルなピアノのフォルムに目を惹かれ、時間差で主題のイゴール・ストラヴィンスキーが目に入る順番のような、写真家が指揮者に変わり鑑賞者を誘導しているような面白さがある作品です。
でもこの写真もきちんと写っている人間とその人のなりがはっきりとわかるのです。
撮られた側も私は音楽家だぞ、写真家もこいつは音楽家だぞ、そして鑑賞者もあぁ音楽家なんだなと三者がある程度は同じように認知できる強さがあります。

私がまだユージンスミスさんの写真が消化できない理由は美術作品としても美しさがあるのにドキュメンタリー作品としての役割も果たしていて、そして道徳性を訴える歴史的証拠のような役割も持っているというところです。
戦争の写真なのに、悲惨な写真なのに美しいと思ってしまう写真もあって私はどう反応していいかわからないのです。

そんな自分を嫌だなと思ってしまったり、素直に凄いとだけ思えばいいのかもしれないと考え直したり

それが今出せる精一杯の感想です。

うめこ


今日の一枚


今日の一曲

テレサ・テン-别れの予感

テレサ・テン-別れの予感


今日の一冊

自分が生まれるよりも前に出たこの本。大人になってから読んでもすごく楽しいです。
今年は子供の時には買わなかった福音館書店から出ている自然図鑑などの図鑑シリーズを揃えていこうと思っています。

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