うめちゃんからの手紙 2017 No.204 ブランディング化はよして。

うめちゃんからの手紙 2017 No.204

ヒロシが描いてくれた絵を額装してもらいました。

うめちゃんからの手紙 2017 No.204

ヒロシが描く絵が私は大好きです。
少し前に私のことを描いてくれて、とても元気になれる絵だったので額縁屋さんに額装をお願いしていました。
今日やっと額装がされた絵を受け取る事ができました。

浮かせ額装という絵が少し浮いて見えるタイプの額装を選び、ヒロシの絵の下に来る紙の色、額縁の木材の色なども自分で選び余白なども指定した完全オーダーメードです。

毎日暮らしていて本当に悲しくなることや辛いこと思い出してしまってどうしようもならない悲しい気分になる事もあるのですが、できるだけ両親、京都に住むみゆきちゃんへの手紙には書かない様にしています。
文字にしてしまうとそこに私の編集の様なものが加えられてしまい辛かった事がより辛い話になってしまう気がしてしまうのです、もしくは受取手によりシリアスに受け取られてしまうのではないかと不安になってしまいます。

なので心の中だけで。

ヒロシの絵は写真とは違うのだけれど、確かにヒロシが私を一生懸命書いてくれた時の記憶をうまい具合に閉じ込め、ヒロシのタッチでかわいく面白おかしく、元気が出る様な絵に思い出が化けます。
ヒロシは絵を描くことや写真を撮る事がすごく上手で、いつもいいなぁと羨望の眼差しで愛猫を見てしまいます。
私の気持ちを知ってかしらずか、何かを察しているのでしょうヒロシは私がギターで弾き語ることがすごく上手だと褒めてくれます。
でもヒロシの絵の様に私が歌ったところで誰かの気持ちを明るくしたり、元気づけたりはできません。
自分の趣味であり、フラストレーションのはけ口でもあり、時間つぶしであってあくまで自分のためで、誰かのためという大義名分はありません。

少し気分が今日は沈んでしまいました。

常連のママさんが子供の将来の塾の話をされていて、学習塾通りとママさんたちの間で呼ばれている学習塾が密集しているエリアが都内にはあります。

学習塾が複数の警備員達雇い各交差点に立て、その学習塾に通う子達に挨拶をする少し変わった光景が当たり前の日常なエリアでもあります。

学習塾にもレベルがあり両親の収入レベル、子供の学力、様々な”カースト”の様なものがあり塾ごとに親子の雰囲気がガラッと変わるのだそうです、そのエリアの端から反対側の端までで親御さんたちの送り迎えの車のランクも変わっていくのだそうです。

自分で歩いて通う児童、高級外車で送ってもらう子供、はたまた同時刻まだ公園で遊んでいる子供。

なぜこの話を聞いていて私が暗い気持ちになってしまったのかはわかりませんが、子供も圧倒的なプレッシャーの下で暮らしているのやなぁとぼんやり考えてしまったあたりからなんだか息苦しくなってしまいました。

恋人も男友達もいないのに、将来自分に子供が生まれたらこのママさんたちの子供を塾に送り迎いしながら色々と頭を巡る感情を私は受け止めきれるのやろうかと考えた時、言いようのない不安に包まれてしまったのです。

出版社に務めてらっしゃる常連のお客さんが会社側が学歴で何を見るかという話をされていて、就職活動などで面接官は学歴で何を見るかというと”学生時代に何を勉強してきたという事ではなくどれだけ我慢できる人間か、楽しい事がいっぱいある年頃に我慢ができていたかを見る”のだそうです。その方の考え?お話では難関校イコールそれだけ様々誘惑を断ち切り我慢を続けて勉強に打ち込んできた人間で、仕事をしていく上で我慢ができる人間、会社のために勉強して働く人間を見る”尺度”として学歴が大事になってくるのだそうです。

私は個人のブランディング化の様な事にどうも苦しさを感じてしまいます。

色々な事がブランディング化、エンタメ化されている気もします。

最近では人間自体がエンタメ化され消耗品の様に扱われ、その人の人間性までもがブランド物の様に価値が市場に左右されてしまう怖さもあるのではないかと感じています。

インターネット上ではSNSとよばれるところでコメント数やいいね!という類のものがある種のポピュラリティーをはかる尺度になっているのやとか。

デモなどや政治活動などもリーダーとされる人の容姿、その人の怒りの度合い、過去に体験したトラウマの痛ましさ、そして参加者の数が評価を得るための尺度として使われている様で違和感を感じてしまいます。

消耗されない人間として社会で生きていきたいのやけれど、資本主義社会ではお給料という仕事への対価を得ている時点で難しいのかもしれません。

私自身すごく矛盾した事を言っている自覚はあります。

友達、家族、大事な仲間たちにはそういう尺度を使わずに接し続けていける大人になりたいと強く思ったのでした。

一緒に遊んだ回数、行った場所、共感の共有体験の深さなどだけで友達の良し悪しを決めたくはありません。

むつかしいな、
シンプルな喜怒哀楽だけで歩みを進められる生き方はないのやろうかと考え込んでしまった夜でした。

うめこ


今日の一曲

baby's star jam / Schroeder-Headz シュローダーヘッズ

Schroeder-Heads – baby’s star jam


今日の一冊

ねじめ正一 (著) 

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