うめちゃんからの手紙 2018 No.196 消費者の私もしてやられていた…

うめちゃんからの手紙 2018 No.196

しゅっとした格好をしているうめちゃん。

うめちゃんからの手紙 2018 No.196

今日は朝起きてからはるちゃんと田中さんを誘って散歩に出かけてきました。
厩舎のお仕事も平常時メンバーと引き継ぎを既にすませました。

日本の職場で出しているZineの広告枠の編集作業に夕方までの時間を費やしました。
私もはるちゃんもフィルムとデジタルの両方で撮影しているため膨大な数の写真を管理しなければいけません。
フィルムもすべてデジタル化していますが一部はまだ現像が終わっていないので日本に帰り次第プロラボに送り現像後に職場でフィルムスキャンを行いデジタル化する予定です。
私達が働くカフェの外商先でお洋服を販売されている方がいらっしゃいます。
その方が私たちが出しているZineを気に入ってくださり広告主として出資とお洋服を提供してくださいました。
そのお客様から私とはるちゃんの二人がヨーロッパを旅行をしている雰囲気の写真を撮ってきてほしいとお願いされています。
このリクエストは単純明快だなぁと最初は楽観視していたのですがはるちゃんと打ち合わせを重ねるうちに自由すぎて本当に塾考しなければいけない苦しい”アサイメント”だということに気がづきました。
私は子供の頃に子供服用のモデルをやっていたことがありますが、お洋服のモデルというのは本当に大変です。
服を売るための写真です、それでも人間に服を着せている以上マネキンではいけません。
服を美しく見せるのは当たり前で、動きも求められますし、服を買うお客さんの想像が膨らむように、楽しい気持ちが少しでも芽生えるようにポージングをしなければいけません。
服というのは人にとって本来の目的である体を守るという以外にも時に心を鼓舞してくれる勝負服であったり、はれの日に気分を高揚してくれるものだったりします。
アウトドアブランドなどでウエアが主役ではなく、あくまでもキャンプを楽しんでいる雰囲気の中に溶け込むように配置された商品の写真などを目にすることはありますが、それでも巧みに消費者の目線を誘導し商品へ興味が持つように考えられたアートディレクションがされていたりします。
自然な感じで!という事ほど難しいものはないのです。
物憂げに読書に耽るメガネが似合う女の子の写真を見たことがあります。
メガネの広告のための写真でした。
メガネをどアップにしているわけでもないのですが、いいメガネだなぁ、この人に似合っているなぁ、私だったらどうだろう?という想像につながりました。
まんまと一消費者の私もしてやられていたわけです。

子供の頃にしていたお仕事は1日拘束されましたがお給料はとてもよく、1日で3万円ほど頂いていました。
それでも子供心にかなり高い要求がされているなぁと圧倒され勉強になるなぁとも思ったりもしたものでした。
1カットあたり3〜5分ほどなのですが、かなりの緊張を強いられる数分間です。
その頃は目線を向ける位置に人形などが置かれていました。
例えばカメラマンさんからクマさんからウサギさんにゆっくり目線を動かしつつ最後にジャンプを3回!みたいな感じで!と指示を頂いていました。

大きくなった今は全て自分達でディレクションをして数パターンの写真を納品しなくてはいけません。
何箇所かに赤い空き缶を目印として置き、目線の位置などを決めて撮ったりも試みました。
クライアントの方が私とはるちゃんが楽しんでいる雰囲気を求めているという事はわかっているのですが、それでも本音では私たちに預けてくださった商品がきちんと写っていてほしいという気持ちが強いわけです。
一生懸命に愛情を注いで作り上げてらっしゃる大事なお洋服ですから、そのお洋服が最も美しく映るように、そしてブランドイメージを損ねず丁寧にその服が持つ強さを内包した雰囲気のある写真に仕上げなければいけません。

未経験ではありませんが御託を並べたところで所詮私もはるちゃんも素人です。
とにかく十分な枚数を撮り一生懸命編集作業を行い、最終的にクライアントの方に候補の中から決めていただくことになります。

でもこれは本を作るという作業以外にも万事に通じていることではないでしょうか。
編集という言葉は複雑で、例えば何かを定義するような編集であったり、新しい価値を見出すような編集もあるかもしれません。
例えば私を言葉で表そうとした時、女、女子、高校生、関西人…どれも私に違いないのですがそれぞれの言葉から受ける印象は大きく異なります。
写真の編集に置いても同じ事が言える気がしますが、写真から鑑賞者が得る情報が多いため撮影者と編集者は知恵を絞らなければいけません。
人は意義の有無にかかわらず、喜怒哀楽にかかわらず何かしらの理由があって分筆をしたり、シャッターを切ります。
編集の究極的な意義は自分の考えていることをいかにわかりやすく人に伝えるかという技術だと私は考えています。
それは恋愛においても、人付き合いにおいても言えることではないでしょうか?
私が苦手としていることでもあります。
手探りであり、苦しい作業であり、時に被害妄想や加害妄想を増長させることもあります。

けれど苦しいことばかりでもありません。
確かに意義がある行為で、和魂洋才という言葉のように古来のものと新しいもの同士でもうまく混じり私達の文化であったり生活を昇華させてくれる事もあると思います。

新しいものを見出す事や普及させていく事もかっこいい事でしょう。
でも私達がしなければいけない編集は正直に、そして私達の夏が本当に楽しかったのだと人に知っていただける写真を仕上げていく、いわば自分自身の情熱や真剣さを確認していく編集なのだと思います。

うめこ


今日の一枚

LEICA M10 , APO-SUMMICRON-M F2/50mm ASPH.

LEICA M10 , APO-SUMMICRON-M F2/50mm ASPH.


今日の一曲

The La's – There She Goes

The La’s – There She Goes


今日の一冊

Copyrighted Image

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