うめちゃんからの手紙 2017 No.177 にゃんこスターのお笑いについて考えてみた。

うめちゃんからの手紙 2017 No.177

ぼやぼやっとした子に思われがちやけど鋭いマリちゃん。

うめちゃんからの手紙 2017 No.177

今日はマリちゃんとはるちゃんと私の3人のチームでプレゼンテーションの準備をしました。

以前もお話ししたことがあるディベートの授業と同じ先生です。
ディベートの時の論題も結構バラエティに富んでいて面白いのですが、今回私たちがプレゼンテーションをしなければいけないのは「にゃんこスターの面白さ」というテーマです。
今回はかなり高難度な気がしています。

ディベートの時もプレゼンテーションの時も生徒全員が一つずつ思いついたテーマを書き箱に入れ、そこからチームの代表がくじを引くルールになっています。
そのため突拍子がない論題が当たる事もあります。

過去の記憶に残っている面白かった論題を紹介します。

  • たけのこの里ときのこの里のどちらが優れているか
  • ハイヒールの色だけ違う全く同じ女性の写真が2枚並んでいて、どちらの女性を応援したいか
  • 2000円札が必要か否か
  • メガネとコンタクトの女子のどちらが可愛いか
  • マクドナルドがいいかモスバーガーがいいか

ディベートの場合でもプレゼンテーションの場合でも一生懸命自分の考えを伝えなければいけないのでとても大変です。
他の科目は頑張っていい成績を取れているのにGPAがぱっとしないのは私が口頭で発表しなければいけない魔法のテストや喋る事が求められる教科がとても苦手だからです。

一週間の準備期間で色々な資料を集めクラスに配る冊子も作らなければいけない事、パソコンのPowerPointを使わなければいけない事、そしてみんなの周りで話さなければいけない事が私にはとても大変です。
マリちゃんが最も得意としている授業でもあり、はるちゃんも一番楽しみにしています。

プレゼンテーションの時もディベートの場合も私がリーダーにされます。
今回はにゃんこスターの素晴らしさをプレゼンするために3人で一生懸命準備をしています。

幸いにも私の下宿の猫の二郎と三郎がにゃんこスターの大ファンなのでまずは彼らの意見のヒヤリングからはじめました。
私個人がにゃんこスターのお笑いが好きかどうかは重要視されません。(ぶっちゃけ好きではないし嫌いでもないです。個人的に今好きなのは尼神インター)
自分の好き嫌いを抜きにして、プレゼンしなければいけないのも難易度を高めている一因です、そこに授業の本質もあるのだとも思っています。
自分が受け付けないものでも一生懸命調べて、好きになってみる、嫌いになってみる、守りに入らず理解を深めていくという事が重視されています。

マリちゃんの発した言葉が今回もブレイクスルーとなり一気にプレゼンテーションの準備が一気に進展しました。

「にゃんこスターのお笑いは既存のお笑いとは違う概念を提示している気がする、Aを肯定するためにBを貶める、いわゆる一般常識からかけ外れたおかしな行動をとっているとされるボケと、それを突っ込み観客へ同意を求めるツッコミの欠如がみられるのではないか?」とマリちゃんが疑問を投げかけました。

お笑いあるあるで具体例を挙げると…

  • シチュエーションコントなどの例で出てくる変な女性や男性
  • 意思疎通が取れない変なコンビニやファミレスの店員
  • 恋愛体質な女性を揶揄したすぐに惚れてしまう、男に騙されてしまう女性
  • モテるために変な努力をする男の滑稽な姿
  • 日常ですごく腹が立った話
  • 常識とされるものから逸脱した発言や行動などを演じるボケ

いずれのケースでも観客の私たちにツッコミの方からの同意が求められるパターンが多い気がします。

明確なツッコミがにゃんこスターのお笑いにはないのです、観客である私たちへの同意を求めているわけでもなく、コミカルな動きのリズム縄跳びをするアンゴラ村長さんとスーパー三介さん扮する縄跳び大好き少年のやり取りを見るだけなのです。

動きやリズムなどだけで笑をとりにくる、悪く言えばカラフルな着ぐるみを着たキャラクター達が踊っている子供番組の延長ではないかという意見が打ち合わせで出ました。
よく言えば誰も傷つけないお笑いなのかもしれません。

マリちゃんの母国で伝説的とまで言われたMonty Python,Ali G,そして日本でもおなじみのミスタービーンのお笑いをマリちゃんは例に挙げ、それらのお笑いはイギリスの社会構造への批判などもUndermine(ネガティブ間接的攻撃)しつつ織り交ぜられているという一面があり、お笑いであると同時に自己批判や風刺の要素も含まれているという事。

けれどミスタービーンは今の時代の基準からすれば発達障害の方やアスペルガーの方を揶揄して笑いにつなげようとしている危ないものではないかという話にもなりました。
その場合においても普遍的な誰でもしがちなミスを極端に誇張して共感を得て笑いにしているという捉え方もできるので、ミスタービーン自体も難しいのです。
プレゼンテーションの限られた15分でミスタービーンを例に挙げると少し話が脱線してしまうかもしれません…
とはいは本国バージョンと違い日本で放送されたバージョンでは差別や王室批判ネタをかなり自粛しカットされているのも事実です。

国を問わず差別や、マウンティング、過剰な対比、マンスプレイニングの要素がお笑いには付いてまわっているという具体的なキーワードが幾つかマリちゃんから出てきました。

私が思った事はお笑いなどのエンターテインメントと大まかに括られるもの以外も子供の絵本などで少なからずそれらの要素があるのではないかという事です。

例えば日本中の子供が慣れ親しんで育つアンパンマンの場合でもそうなのです。
バイキンマンやドキンちゃんという明確な敵とアンパンマンという正義の味方を子供に製作者は提示しています。和解などの他の解決方法を探るのではなく、早期から戦いによる解決をアンパンマンは選択します。
ドランゴンボールなども複雑で、悪役とされるキャラクターも必ず死ぬわけではなく時々正義の味方と打ち解け仲良くなる場合もあります。ただドラゴンボールもひっきりなしに敵が襲来しその都度戦わなければいけなく正義側とされるキャラクター達には休みがありません。アンパンマン達と違い一度戦った敵と共存して行く選択肢を孫悟空は選ぶことが多いのも1つの特徴です。

ここが今回のプレゼンテーションを難しくしている一つの要因でもあります。
いつの時代まで社会がバイキンマンの必要悪を許容できるかという事です。
時代によって許容されていたものが許されなくなる場合も多くあると私は考えています。

お笑いのツッコミの方が観客に求める同意には共感の要素も含まれている気がしています。

それは変な人にあった場合や嫌な思い出の残る恋愛、いろいろな感情を笑いにかえ、自分だけではないのだという共感、擬似的な思い出の共有のような側面もお笑いには少なからずあるのではないでしょうか?

そしてそれが私たちがプレゼンテーションでにゃんこスターを推していく一つのポイントになるのではないかと現時点では考えています。

にゃんこスターは特に人を傷つけないお笑いなので時代や社会が変わっても対応しやすいお笑いなのではないでしょうか。

今時らしいポリティカリコレクトネスなお笑い。

そして共感できる項目が一切ない、とても抽象的とも言えるコンテンポラリーアートのようなお笑いでもあります。

欠点はみんな子供番組から他のアニメなどに興味が移ったように観客の飽きが早いのという事です。

そしてネタ自体で笑が取れなくなると今度は芸人さん自体の人間性や、プライベート、性格、見た目、過去などがTV注目される事になるのではないでしょうか。

本来ネタだけが注目されればいいはずなのですが、芸人さん個人が売りになりそしてあげあしなどを取られ消費され消えていくのではないかという不安もあります。

芸人さんまで計画的陳腐化で使い捨てされている現代、プレゼンテーションの準備をするだけなのに随分と考え込んでしまいました。

限られた15分というプレゼンテーションの時間にどこまでできるか…不安ですが頑張ります。

自己批評が欠如しているので、そこはもう少し3人で意見を出し合ってプレゼンテーションの当日まで

色々考えてみようと思います。

うめこ


今日の一曲

The Cure – Friday I'm In Love

The Cure – Friday I’m In Love

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