うめちゃんからの手紙 2019 No.097 魔法学校のノリを復権したい。

うめちゃんからの手紙 2019 No.097

うめちゃんのお父さんの子供時代の写真。うめちゃんの祖母と叔母と写真に写っています。

うめちゃんからの手紙 2019 No.097

昨年に関西の魔法学校を卒業された方のエクストリーム登校記録が正式に記録として残る事になったそうです。
魔法学校に通う生徒の間でも知名度が極めて低いこの競技をなぜ話題にあげたかというと、私の父も高校2年次に記録を残しているからです。
私の父はヴァーモント州とロカ岬、佐多岬、そして京都の4地点でを通学路として記録し、移動距離だけでいけば今だ誰にも破られていません。
私の父が高校生だった当時、魔法使い達の間でニッチな記録を樹立していこうブームがあり私の父がエクストリーム登校という当時から最もマイナーだった種別で記録を打ち立てたのでした。

昨年チャレンジし今年記録に載る事になった方のエクストリーム通学は日本の日の出を見てからマサチューセッツ州はケープコッドに魔法で飛びケープコッドの日の入りを見てから再び日本に戻り通学という一度のチャレンジで日の出と日の入り両方を収めるという定番にして移動距離が長い難度の高いチャレンジでした。
この競技、魔女には不人気で、一般的に早起きと徹夜が得意な競技者ほど有利なため魔女の通う魔法学校でチャレンジする人はほとんどいません。
それでも魔法関係の就職の際に履歴書に書くとそれなりに盛り上がり割と高評価を得られるそうです。
魔女の挑戦者は過去100年で40人ほどしかおらず、魔女の間での不人気ぶりが伺い知れます。
男性魔法使いの挑戦者は1970年代以降だけで50人ほどいるそうなので、ほぼ毎年一人は挑戦している計算です。
ちなみに魔女の挑戦者40人の内に私のイギリス人祖母とたまえおばちゃんが挑戦していて、祖母はチャレンジ失敗、たまえおばちゃんは見事記録を残す事に成功しています。
祖母は移動中に眠たくなり経路にあったホテルに部屋を取り仮眠を取るつもりがマジ寝をしてしまい規定時間をオーバーしたため脱落という、実に祖母らしい顛末だったそうです。
成功したたまえおばちゃんは幼少期からスイスのサマースクールに毎夏通っていたので、そこで知り合い友達になった子達に協力してもらい世界中でご飯を食べながら大阪に戻ってきてそこでごちそうさまを言い登校というルートでした。
おかしいのが私の母も審査員の大人に付き添って記録係としてカメラをもってたまえおばちゃんと最初から最後まで行動を共にしたのですが、チャレンジ申請を一切していなかったため母は記録に残っていないのです。
ところが魔法省が発行した書類のチャレンジ立ち会い人の欄に母の名前もきちんと入っているものですから不思議な感じがします。
ディスカバリーチャンネルのサバイバル番組のカメラマンさながらですね。
出演者よりも荷物が多く重い機材を極限の状況下で壊れないように運びさらにそこで仕事をこなし自身も生き残らなければいけないという矛盾した存在。
男女共にぼちぼち挑戦者はいても成功者が少なく、なかなか記録に残してもらえないのがこの競技のハードさを物語っています。

実は私も卒業までにはるちゃんとマリーちゃんと3人でこのチャレンジにペアで挑んでやろうと目論んでいます。
この競技には個人、ペア、5人までのチームで出られる団体があります。
私の父と叔母は個人で記録を残しているのですから大したものなのです。
最低7000kmは移動しないと記録として認めてもらえないと言われていて、いかに体に負担をかけずそして魔法の力を浪費せずに長距離移動し、そしてヒューモアを織り交ぜるかが肝となるのでとても悩みます。
最近はコンプライアンス等の関係であまり過激だったり後々問題にしたくないという事で面白いことを学生の間に企画する魔法学校の生徒が減ってしまったそうです。
昔の魔女はシニアプランクも凝っていたそうですし、面白い伝説を残したりしています。
こういうアホっぽい魔法学校のノリを私は復権したいのです。

うめこ


今日の一枚

LEICA M10 / NOKTON 35mm F1.2

LEICA M10 / NOKTON 35mm F1.2


今日の一曲

ZAZEN BOYS – ポテトサラダ @ FREEDOMMUNE 0<ZERO> ONE THOUSAND 2013

ZAZEN BOYS – ポテトサラダ @ FREEDOMMUNE 0<ZERO> ONE THOUSAND 2013


今日の一冊

William Eggleston’s Guide

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