うめちゃんからの手紙 2018 No.163 みんなが知っているけれど知らない女の子。

うめちゃんからの手紙 2018 No.163

とても大きなすいかを一生懸命運ぼうとするうめちゃん。

うめちゃんからの手紙 2018 No.164

今日はアルバイト先の常連の一太郎さんからとても不思議な話を聞いたのでその事について書こうと思います。
実はこの話をたまえおばちゃんとはじめおじさんにもしたところ、二人とも同じ体験したことがあるというのでここに書き記しておく必要性を感じました。
以前にも他の知り合いから似たような話も聞いた事があり、今度は忘れてしまわないように、将来また同じ話を聞く事があった時のためにここに記します。
私以外の身近なたまえおばちゃんとはじめおじさん、仲の良い常連さん、そしてはるちゃんとはるちゃんのお母様も同様の経験があると言っていたのに私だけ遭遇していないことに少し寂しさも感じました。

それは時代や場所を問わず現れる女の子のお話です。
現実生活で会ったという人もいれば、夢の中に現れたという人、いろいろな形や場所でその女の子に出会っているそうです。
失恋した直後、身内を亡くした直後、時には命に関わるような事であったりと、人生の節目には必ずそばにいてくれた女の子なのだそうです。
とてもお世話になったり、ある時はとても大事な助言をくれた子なのだそうですが顔も名前も誰一人として思い出せないのがみんなから聞いた話の共通点でした。
もう一度会って感謝の気持ちを伝えたい、今度はきちんと顔を見て記憶したいと皆一様に口をそろえていっているのですが思いは叶っていないそうです。
自然災害の直前に日時と場所を指定して絶対に近寄らないで欲しいと忠告してくれた例もあるようです。
突然その女の子から茶色い紙切れのようなものに殴り書きで一言だけ書かれたメモを渡された事があるという人もいました。

一太郎さんは1995年の1月16日の関西に夜行バスで向かおうと新宿駅のターミナルに向かうとその女の子に話しかけられあろう事かお財布ごとすられてしまい出張に行けなくなったそうです。
そして数日後に手つかずのお財布が自宅の郵便受けに入っていたそうです。
一太郎さんになぜ女の子にお財布丸ごとすられたのか尋ねると、すられたというよりも会った事がないはずの子だし顔も思い出せない子なのになぜかはっきりと知っている人間だという認識があって気づいたら財布を預け代わりにメモを受け取っていたというのです。
そしてメモを読んだ直後はその女の子のメッセージに驚きとても納得したそうなのですが、しばらく時間が経ってから改めて茶色い紙切れを開いてみたところ何語か特定出来ないミミズの這ったような文字にも見えなくはない模様が青いインクで書かれているだけで出版社に勤める人達に聞いて周っても誰も読む事ができなかったそうです。
そしてその文字も茶色い紙切れもきちんと保管していたにもかかわらず消えてしまったそうです。

一太郎さんがその女の子に出会ったのは実はその時だけではなかったそうです。
一番最初にあった年から6年後、2001年9月10日に予定していたニューヨーク出張直前にも会っている記憶があるのだそうです。
その時は以前にあった事があるという安心感からか無意識に心をその女の子にすべて預け切ってしまい、出張を気づいたら取りやめていて気がづいたら実家の父とお酒を飲んでいたそうです。
お酒が抜けた頃にいろいろな事を思い出しその女の子にお礼を伝えようと気づいたそうなのですがその女の子とどうして出会えたのかどう連絡を取ればいいのかわからず今日まで手がかり1つないのだそうです。
顔も思い出せないのにあったことのありあの子だと思い出せた理屈がわかりませんが、当時は腑に落ちるものがあったのだそうです。

はるちゃんのお母様はその女の子とディズニーランドに遊びに行った事があるそうです。
すごく鮮明にその日の買い物や食事で使った金額から乗ったアトラクションの順番といったディテールは完璧に思い出せるそうなのですが一太郎さんのケースと同様にその女の子の顔だけがはっきりと思い出せないそうです。
中学卒業直後の1995年3月20日の朝一番に上野駅で待ち合わせ日比谷線で八丁堀まで行きそこから京葉線で他のお友達とディズニーランドに行く約束をしていたそうなのですが、その顔が思い出せない女の子が急に横浜の自宅に前泊する事になり直前に予定を変更して友人のお母様が横浜からディズニーまで1時間ほどかけてワゴン車で送ってくれたそうです。
はるちゃんのお母様は今でも当時友達のお母様が乗せてくれた車が日産のワゴン車でセレナという車種で紺色だったという事とナンバーまできちんと覚えているのにその女の子の顔だけが思い出せないのだそうです。
その女の子がなぜ突然前泊する事になったのか、なぜはるちゃんのお母様の両親がその女の子を知っていたのかがわからなかったそうです。

その女の子に話す言葉に訛りや口癖のようなものがありませんでしたか?と名探偵みたいないい質問だなと思って二人に聞いてみると、その女の子がそもそも何語を話していたのかも全く思い出せないそうなのです。
会話をしたり一緒に遊んだはずなのに気持ちや喜怒哀楽のような感情の思い出は残っているのにその女の子から発せられた言葉は書かれた文字も口から出た音としての記憶も何一つ残っていないのが共通点のようです。
はるちゃんのお母様がその女の子とディズニーに行った時はその女の子がカメラを預かっていて他の子達は遊ぶのに夢中でその子の写真を一切撮っていなかったそうなのです。
その女の子は徹底していて怖いなとも思えるほどで、自分たちが楽しく遊んだ思い出写真は完璧にびっくりするくらい上手に撮られた写真として残っているそうなのですが、鏡や金属などの反射に撮影者の姿が写っているようなアングルで撮られたものは全くないそうです。
その女の子の実在の有無はまだ信じられないのですが、きちんと友達全員が写った写真が複数枚残っていて、確実にそれらの写真に写っていない人物が何箇所かで撮影してくれたのは紛れもない物証なのだとはるちゃんのお母様は言っていました。

なんとなく私はその女の子に会えない気がしました。

なぜ日本の都市伝説や怪談に出てくる人物は例えば口裂け女であったりトイレの花子さんとキャラクター性がある出現者は女性が多いのやろうかと疑問を抱きました。
日本画で描かれる幽霊も一番最初に思い浮かべるのは足元がぼんやりとした体躯の全体像は掴みにい姿ではあるけれど髪の長い女性というのは繰り返し現れる共通のイメージな気がします。
日本で不老不死で知られいろいろな時代に現れては人々を助けたことで知られる八尾比丘尼も女性です。
ところがヨーロッパではサンジェルマン伯爵やニコラフラメルなど男性が多いような気もします。
日本では怖いものに限らず富や子を授けるような民族伝承に出てくる童子の類も女の子であったりと、畏怖の対象や異界から来た存在を匂わせる対象は女性性を持っている事が多い気がします。
反対に未来人やSFチックなどこか科学との結びつきがあるような事柄に出てくるキャラクターは男性が多い気もします。
後者の未来やSF的な事柄も好奇心を煽るのですが、どこかに将来起こるかもしれない予言とは違う予測のような推測や観察の結果のようなものが反映されていて、純粋には似て非なるものではないかと私個人は思います。
本来畏怖したりや尊敬する人外の力を持った対象なのですから性別のようなものやそもそも形を伴っている必要もない気はするのです。

世話焼きでどことなく関西のおばちゃんのような都市伝説のキャラクターに親近感も感じてしまいました。
私が時空を超越できるそんな人物だったら火の鳥未来編の山之辺マサトのようにじっと観察して見守ることしかできない気がします。
積極的に人間に干渉しその人の運命を変えてしまうなんて重荷すぎます。
私には会いに来てくれる気がしませんが、もし出会えたら私も一緒に遊んでもらいたいものです。

うめこ


今日の一枚

EOS 6D / EF50mm F1.8 STM

EOS 6D / EF50mm F1.8 STM


今日の一曲

PUFFY「BYE BYE 」 lyrics/song 志村正彦

PUFFY「BYE BYE 」lyrics/song 志村正彦


今日の一冊

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