うめちゃんからの手紙 2018 No.074 母の恩師びーやんさんの話。

うめちゃんからの手紙 2018 No.074

当時私が一番男の子にモテたと豪語するたまえおばちゃん。(先日話したうめちゃんのパーカーを着ている図

うめちゃんからの手紙 2018 No.074

今日は久しぶりに母とテレビ電話で話しました。
おばちゃんにいただいたiMacを使う時間を増やしていて一人で操作しパソコンで母とも通話するのにも随分と慣れました。
母は学生時代から親しくさせていただいている先輩の方と今度桜を撮りに四国旅行に行くと話してくれました。
母は鬱病がひどかった頃に多くの交友関係が減ってしまったそうなのですが、はるちゃんのお母様と今度一緒に旅行に行ってくださる方は長い間変わらずに母と友達でいてくださる大切な方達です。
今度の旅行もはるちゃんのお母様と先輩の方と3人で道後温泉に行ったり金毘羅さんに行ったりするのだととても楽しそうに母は話ていました。

その方のことをはるちゃんのお母様は富田さんや先輩と呼んでいるのですが、私の母とたまえおばちゃんはびーやんとよんでいます。
富田さんは片方の足と背骨が湾曲しており独特の歩き方をするのですが、その歩く姿を見た富田さんの心ない同級生達からびっこちゃんと呼ばれていたのがいつの間にかなまり、下級生の私の母とおばちゃんからはびーやんと呼ばれるようになったと富田さんはおっしゃっていました。
親しき仲にも礼儀あり、差別用語で年上の先輩を呼ぶのはどうなのかと思うのですが、本人は「あだ名があるというのはとても良いことだよ。本名がゆう子で当時は同じ学年に5人もゆう子ちゃんがいたのよ。だから私以外の子は勉強ができるゆうこ、大きいホクロがあるゆうこ、一番地味なゆう子とかって呼ばれてたから、それよりはびーちゃんとかびーやんって方が可愛いじゃない。当時必ず3位以内には入っていた人気の女の子の名前だったしね。」とあっけらかんとした様子なのでした。

富田さんにも子供がいらっしゃり、私より3つ下の中学生の女の子がいらっしゃいます。
私もその子と遊んだ記憶もあるのですが、母と富田さんは大人達だけで集まり遊んでいたことが多かった気がします。

一度だけ母に付いて富田さん親子と野沢温泉村に旅行に行ったことがあります。
脱衣所で富田さんの背中を見た当時の私は大変驚き不躾にも何故大きな傷跡があるのか尋ねたのでした。
その時富田さんは「お姉さん昔は羽が生えていたんだけど飛ぶのが下手で大事故にあっちゃったんだよ。私はどんくさいからねぇ」と私に嘘をついたのでした。
当時まだ小さかった富田さんの娘さんも慣れた感じで「そうだよーほんとだよーまま嘘言わないもん」と私に念押しをするように繰り返し言っていたのでした。
何しろサンタがいるということを知っていた私は富田さんの嘘を信じてしまい、割と癖の強い母とお付き合いしてくれてはるわけやしきっとほんまに富田さんは天使なのやろうと長い間信じていました。
急に具合が悪くなって予定が守れなかったり泣き出すこともあった当時の母を受け止めてくれ見放すこともなく、それでいて適度な距離感でずっと付き合ってくれていたのだと思います。
実際に富田さんほどの聖人君子には未だに出会ったことが無い気もします、なので本当に富田さんは天使なのかもしれません。

母と富田さんは20年以上前から水曜どうでしょうという番組の大ファンで、番組で登場した場所を聖地巡礼だと言いよく訪ねています。
そのこともあり水曜どうでしょうで登場した四国にあるうどん屋の山田屋さんには何度も足を運んでいるようです。
少し遅れてはるちゃんのお母様も富田さんの”洗脳”の甲斐もあってがっつり水曜どうでしょうにはまり、いつからか3人で旅行をするようになりました。

お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、母と富田さんと今福さんことはるちゃんのお母様は本当に当時からよく3人でつるんでいたのですがたまえおばちゃんは3人の輪に加わっていなかったようです。
なぜかというとおばちゃんはすごく当時からモテたそうで彼氏がいたからだそうです。
おばちゃんは当時彼氏がいなかった3人組のことをモテないシスターズとかズッコケ3人組と呼んでいたようです。(那須正幹先生の名作からとっていたようです)
それでも一番最初に結婚をしたのは一番人付き合いが苦手でコミュニケーション能力に難があった私の母で、次が富田さん、はるちゃんのお母様、そしておばちゃんが一番最後でした。

富田さんのエピソードで一番印象的で心に残っているは富田さんが茨城のり子さんが50歳になってから韓国語を習い始めた話を聞かせてくれた時のことです。
富田さんも母の影響でライカを買い写真に熱中していて、今でも当時買ったライカを大事にずっと使い続けているのですが、当時からあまり写真は上手じゃなかったのを覚えています。
それでもずっと写真を続けていて、「いくつになっても新しいことを始めるのに遅いなんてことは無いし、私が好きな山岳映像作家の吉野和彦先生だって34から作品作りを始めたのよ。私がカメラを始めたのも30過ぎてからだし、うめちゃんが好きな茨城のり子さんなんか50過ぎてから韓国語習い始めたんだよ、しってるかな?わたしなんかそれにくらべたらまだまだ若輩者だよー。」と下手の物好きでも良いのだと、三日坊主でもいいから色々試してみることは素晴らしいのだと私に説いてくれたのでした。

今では富田さんも写真を撮るのがとても上手です。

私も富田さんにまた会いたいなぁと思った雨の日の午後でした。

うめこ


今日の一枚

さくら

LEICA M10 , APO-SUMMICRON-M F2/50mm ASPH.


今日の一曲

ウルフルズ – 笑えれば

ウルフルズ – 笑えれば


今日の一冊

Copyrighted Image

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