うめちゃんからの手紙 2017 No.191 毎年お礼の手紙を送る宛先の話。

うめちゃんからの手紙 2017 No.191

なんともならない髪の毛。

うめちゃんからの手紙 2017 No.191

今日は私の命日でした。
そして、この日は母がお酒を全く飲めなくなった日でもあります。
私が小さな頃に一度心臓が止まり、母が不死鳥や龍神様にお願いしてくれたおかげで無事今日もアルバイトから帰ってきてみんなと美味しい夕ご飯を食べて、毛糸の靴下あったかいけれど少し蒸れるなぁなんて事も思ったりできるのです。

言い換えれば二つ目の誕生日なのかもしれません。

死んだ時の意識の記憶は鮮明で、砂時計の上の部分に詰められていた砂が肉体で、どんどんと肉体が崩れ流れて落ちていってしまうような感覚でした。
砂が落ちきったくびれの上部分には確かに無があるのでした。
でも死は思ったより怖くなかったのが不思議だった事も覚えています、映画で見るような感動的なものでも感傷的なものでもなく、録画をし忘れてしまって見れなかったテレビが見れないような不思議な悔しさはあるのだけれど、いざ死んでみるとあっさりとしたものなのでした。

けれど悪いことをしたら無限に時間が続く空間で永遠に苛まれるのだろうなということは子供の魂でもはっきりと理解できました。
そして子供の魂は親の魂がやってくるまで本当に耐え難い寂しさと孤独感に体を刺されるような思いに耐えながら悠久の時間の中で待つのだとも。
どんだけまってもまた巡り会えない魂たちもある事も知りました。
人生も一度きりであれば魂も一つきりなのだとも。

地獄とか天国も思ったよりも身近で、鏡の反対側にあるような、今生きている世界と全くの地つづきで。
私にはしっかり見えているのやけれど、みんなからは私が見えていないのでした。
一度はみんな体験することでしょうから私がネタバレしてしまうのも無粋だと思うので、ここまでで。

毎年11月30日に届くように、サンタのおじさんを通じて龍神様と不死鳥さんに毎年お礼の手紙と近況報告の手紙を届けてもらっています。
サンタのおじさんは誰にでも、どこからでも何処にでも、どんなものでも、そしてどの時間軸にも預けたものを届けてくれます。
サンタさんは子供達におもちゃを持ってきてくれるやさしいおじさんと思われていますが、本当はもっとすごいおじさんです。
母と父は私が一度死んでしまい普通の体を手放すことになるというのを未来の私からの手紙で知っていたのです。
他のことでもサンタさんには本当にお世話になっているので毎年12月になると私の一家はおもちゃの配達のお手伝いをさせてもらうのです。
12月はアルバイトした後に夜通しサンタさんのお手伝いもあるので今年も忙しくなりそうです。

今日はアルバイト先にライカ大好きおじさんがコーヒーを飲みに来てくださいました。
はるちゃんが大好きなお客様で気が合うのか、はるちゃんと話すために来てくださってる感じもします。
でもはるちゃんではなく私がいつもこのお客様のコーヒーを入れています。
かなり熱めで、抽出量うす目がこのお客様のいつものお気に入り、はるちゃんとゆっくり話せるために。

はるちゃんは私の事を学校でもバイト先でのお客様との会話でもよく褒めてくれます。
このライカ大好きおじさんも私の事をよく褒めてくださるのですが、私があまり人と話すのが得意ではないというのを察してくれて、
コーヒーが美味しいと褒める、いつも好みのコーヒーを入れてくれてありがとうとお礼をいってくれる、ライカを大事に使ってくれることを褒めてくれる、
こんな感じでとてもよく褒めてくださるおじさまです。

何気なく私が「わたしそんなおっしゃるほどのいい人間ではありません。楽しそうな人をみて羨ましく思ったり、ベストが尽くせてない自分が悔しかったり。わたしずるいんですよ。」とちょっと本音を言ったら、おじさんとはるちゃんが顔をあわせ、二人そろって

「そんな原節子さんみたいなこと言わないでよ!これだからうめちゃんはやめられないなぁ」と大笑いするのでした。

はるちゃんやライカ大好きおじさんの話している事の内容はいつも私にはちんぷんかんぷんだけれど、楽しそうでいいなと少し会話に入れない寂しさを感じてしまいます。

一度死んだからというわけでもないのやけれど、魂だけが自分のもので、体は所詮かりものなのやなと考えています。

魂を晒す事も難しければ、魂の輝きやくすみを人に気づいてもらう事は至難。

でも体にはいろいろな事が刻まれていく気がします、シワだったり、シミだったり、体躯のサイズが変わったり。

今の体を大事にして、少しでも笑顔でこれからも過ごせたらいいなと。

心臓が止まってしまう前の体を手放してしまって、今はもう不死鳥と龍神様から頂いた体なのやけれど、それでも私を魂で愛してくれていた家族には生まれ変わった私の姿もきちんと見えたのでした。

体が変わってからは家族や本当に親しい人からは私の姿は変わらず見えるのやけれど、そうではない人からは私が父があつらえてくれた魔法の眼鏡をかけているときにしか姿はおろか気配すらも見る事も感じる事も出来なくなってしまいました。

私の大事な友達のはるちゃんとマリちゃんにも私の姿がきちんと見える事がとても嬉しいです。

もし私がまた体を失う事があって魂だけの存在になっても彼女たちは私に気づいてくれる友達なのだと思います。

うめこ


元気にやれよ。

困った事があったらともちゃんを頼るんだよ。

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