うめちゃんからの手紙 2017 No.124

今朝は珍しく母屋から祖母が子供ハウスにやってきました。いつも祖母はお寝坊さんなので私たちよりも起きるのが遅いのですが、今朝は私にコーヒーを入れて欲しいとやってきました。

ドイツでびっくりするくらい接客態度が悪いけれどコーヒーが美味しいお店で買った豆を昨日の朝から使っています。くやしいけれど美味しいです。
コーヒーを飲みながら私がまだ子供でコーヒーの味なんてわからなかった頃に父に連れられ京都大丸の裏にあるびーんず亭によく連れて行ってもらったことを思い出しました。
京都にはいいコーヒー屋さんやコーヒー豆屋さんがとても多いのですが父はびーんず亭を特に気に入っておりよくそこで豆を買い求めています。びーんず亭のゆるきゃら?的マスコットの絵が描かれているのですが、店長のおっちゃんがモデルなのでしょう、気さくで素敵な方なのを覚えています。
実家に帰ることがあれば豆を買いに行きたいなぁとぼんやり昔のことを思い出してしまいました。
匂いや味というのは記憶と強く結びついている気がします。もしかしたら今朝飲んだコーヒーと子供の頃に父につれられて買いに行っていた豆の種類が同じだったのかもしれません。気になります。父は買ったコーヒーの感想などをメモしているので今度訪ねてみようと思います。

日本ではあまりイギリス料理というものが知られておらず、一般的にイギリスは美味しい料理がないと思われているのが実情だと思います。ちょっぴり残念ですが、日本に置き換えてみても海外の方達にどこまで日本料理の名前が通じるかと考えてみると…寿司、ラーメンは通じることが多いでしょうが、天ぷらもあまり通じないですし、寿司は生魚がダメで食べられない方、ラーメンもダシの匂いがダメで苦手だという方が海外にはいらっしゃいます。
以前祖母が私の父はイギリスと日本のハーフなのですが、イギリスに来ると日本人に見られ、日本にいるときはイギリス人に見られるという話をしていたことを思い出しました。
祖母曰く、人間誰でも無意識に人やものを自分とは違うものに見ようとしてしまうところがあるのだそうです。同じ人間なのに、同じ言葉を話していても自分とは違う物として認識しようとしてしまうのだとか。
私の語呂力ではうまく説明できませんが、料理でも似たところがあって自分が食べて育ったなじみの味と初めて食べるものをついつい比べてしまい異質のものとして時に拒絶してしまうのだと思います。

お米を食べる文化の日本、お米に合うおかずはやっぱりピカイチだと思います。
イギリスはパン食の文化なのでパン自体も日本でお米が美味しいのと同じくずば抜けてパンが美味しいです。発酵バター、ジャム、それらもとても美味しい。そしてパンを焼くための釜があるので釜を使うパイ料理なども充実しています。

今日はお茶の時間の後、祖母に教えてもらいはるちゃんとマリちゃんとビーフウェリントンを作りました。
ビーフウェリントンを簡単に説明すると牛肉のパイ包み焼です。
ただ単に牛肉をパイに包むと水分が飛びパサパサになってしまうので玉ねぎを炒めたもの、フォアグラ、マッシュルームなど好みの具材をバター、生クリームなどで炒めたもの(デュクセルと呼ばれるものを作ります)で牛肉を覆いその上からさらにパイ生地で包み焼ます。
東京で私が下宿をさせてもらっている家のはじめおじさんも似た料理を以前作ってくれたことがありました。はじめおじさんが昔勤めていたお店でお客さんに出すには硬すぎるお肉が勿体無いから他の具材と混ぜパイに包んで焼いたものをまかないなどとして食べていたというお話をしてくれました。牛のいろんな部位のお肉を無駄なく調理し命を無駄にすることなくいただくための知恵がどちらの料理にも詰まっている気がします。

父方の祖父の教えで、「アメリカに住むならアメリカのスニーカーを買いなさい、イギリスに住むならイギリスの革靴を買いなさい、日本なら日本の職人の作ったものを。他の国の靴はオシャレだけれど石畳が多いイギリスの道を歩いていたらすぐ痛んでしまう、イギリスの人が考えて作った靴ならイギリスを歩くのにぴったりや。けれどイギリスの革靴を京都の街で履いていたら重く雨の日は滑りやすくて危険。それぞれの国に住む住む人たちが靴でも料理でも長い歴史の中で研究して今の形になっているのだよ。だから頭ごなしに自分が持っている常識や慣れ親しんだものとは違うものを拒むような人になってはダメだよ」と私によく言って聞かせてくれたのでした。

うめこ

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