画伯の雑記 – 2024年1月15日 横浜駅から東戸塚駅まで歩いた。

見通しが甘くとても疲れた。

8km程度だし、普段もっと長距離を歩く事もあるから横浜駅から東戸塚駅くらい大丈夫だろうと高を括っておりました。
とは言え、水筒も途中で疲れてスーパー銭湯に立ち寄れる様にタオルも、お菓子も色々用意して万全の体制で臨んではいました。
決して簡単だとは思っていませんでしたが、全く見ず知らずの道だという事がここまで難易度を上げるとは思いませんでした。
旧東海道と今日の行程が被る部分が大分あるのでせっかくなので旧東海道を歩いていこうと思ったまでは良かったのですが、横浜駅から歩き始め旧東海道を見つかるまでに結構歩いてしまいました。
スタートする前にすでに3km程歩いていて若干疲れていました。

心折れたところからスタート

画伯の雑記 – 2024年1月15日
最初に断っておくと今日は写真が上手に撮れませんでした。
今日もかもしれませんね。
せっかく志高く西を目指すのだからある程度は旧東海道に沿って歩こうと思っていたのですが、希望していたルートがすぐに見つからずスタート早々トイレに行きたくなる始末。
横浜駅のトイレが行列していて、並んでいたら後ろから人にぶつかられたりと、この時点で既に精神的に疲弊していました。
悪手だとは思いつつ行列を離脱し駅の他のトイレを探すとなんとそちらは人っこ1人いないガラガラのトイレでした。
トイレが混んでいた時は並んでいた方がいいパターンとすぐに離脱して他の場所を探した方がいい時の見極めが難しいですね。
地元だと空いているトイレの雰囲気がつかめていますが、知らない土地だと空気感が異なり分からないものです。
そして余裕がないのにぶつかってくる人はギルティだ。

前回までの横浜から東京徒歩旅は日本橋三越で終えたので今日は横浜高島屋をスタート地点とします。

まだ東海道が見つからない

画伯の雑記 – 2024年1月15日

地図で見ますと横浜駅西口を出て首都高速神奈川2号三ツ沢線沿いに軽井沢公園の方まで歩いて行けば旧東海道にぶつかるはずです。
トイレに行きたくなったりビル群で方向感覚が怪しくなったりで思った様には行きませんでした。
浅間下公園あたりから旧東海道を歩き始められれば良かったのですが少しずれました。

やっと旧東海道が見つかった!
気持ちを新たに神明した公園からスタートだ!

画伯の雑記 – 2024年1月15日
スタート前からヘロヘロでしたが、神明下公園という公園を見つけ一旦ベンチに座り水筒のお茶を飲みました。文明の力に頼ろうと思いここで地図を見返し、ここからしばらくの旅程をおさらいしました。

設置されたプレートに救われた。

画伯の雑記 – 2024年1月15日
誰かに頼まれたわけでもないのですから頭を空にして黙々と歩けば良いのですが、なまじ旧東海道と書かれたプレート等を見てしまうとできる限り昔の人たちが辿った道をなぞりたいと欲が出てしまいます。
これは今後自分を苦しめると思うので、できる限り旧東海道を意識しない様にしたいと思っています。
とにかく目標はシンプルに東京から名古屋まで、そして名古屋まで踏破できたら京都までを目標にルートは問わず、徒歩と言う事だけにこだわって進めたい、そう考えています。
それでも歴史解説の看板やプレートを見つけるとそれにつられて進んでしまいますし、方向は合っているのだという安心感はあります。
役に立っています、ありがとうございます。

追分、東海道か八王子道か

画伯の雑記 – 2024年1月15日
追分があったことを記す案内板を見つけました。
先日の日本橋へと東海道も八王子道も通じています、ここは芝生の追分。
八王子道は生糸を運ぶ絹の道とも呼ばれていた道ですね。
世界に向けてこの道を通って海外に輸出していたのですからすごい事です。
余談ですがディズニーシー内に昔の港湾エリアを模したところがあるのですがそこにもYOKOHAMAとローマ字が書かれていたのを思い出しました。
それよりもさらに昔から横浜は世界と日本を繋いでいたわけですからものすごいことです。
大井町駅から東銀座駅まで歩いていた時にたまたまAudibleで代表的日本人を少しだけ聞いたいた事も思い出しました。
横浜をもう少し勉強したくなりました。

画伯の雑記 – 2024年1月15日

こちらは保土ヶ谷区が設置したとわかる案内図です。
保土ヶ谷区のシンボルマークが左上にはっきりと表記されています。
今日撮影した案内図や看板は保土ヶ谷区のものと戸塚区が設置したものが中心になりますが、それぞれ意匠が異なります。
同じ旧東海道を進むので雰囲気を統一してあるかと思いきやそうでもなかったのが面白かったです。
最初に撮影した芝生の追分も設置年が少し前なのか保土ヶ谷区のシンボルマークは入っていませんでした。

いい加減な旅人

画伯の雑記 – 2024年1月15日

僕はいい加減な旅人なのでどうしても日の当たる方へ日の当たる方へ、少しでも暖かい道を通ろうと道を逸れてしまいます。
川辺で日に当たる鳥たちを見て自分も変わらないなと思ったのでした。

保土ヶ谷宿本陣跡

画伯の雑記 – 2024年1月15日

保土ヶ谷には従伯母が住んでいます。
それとは別に歩いていると自分と同じ苗字のお宅を何度か見かけました。
共通のご先祖様が昔々にいるのかもしれませんね。
埼玉県秩父郡出身のバナナマンの設楽さんのルーツが愛知県東部にあるという話を思い出したりしました。
徒歩でしか移動できない時代でも結構人の流動が有った事に再度驚かされます。
街道があり物資やお金の流れが盛んにあったわけですからそれに伴って現代となんら変わりなく仕事や家庭の事情で西へ東へ人々は移動していたのでしょうね。
もしかしたらテレワーク、リモートオフィス的なものがもっと市民権を得ていけばある地点からは人の流動性がなくなり、昔よりも人の移動が少なくなるなんて時代が来るかもしれません。

旅籠屋(本金子屋)跡

画伯の雑記 – 2024年1月15日
ちらほらと分かりやすく本陣や旅籠屋、古い建物が残っていて旧東海道に沿って歩いていることが実感できます。
ただそれ以外でも道の曲がり方であったり、街道沿いに植えられた樹木等もヒントになる事があります。
都市部と比べ空を塞ぐような大きな建物が沢山立っているわけでもないので、当時と変わらぬ空を見ることができていると思います。

少し寒くなってきた。

画伯の雑記 – 2024年1月15日
外川神社近辺と今井川沿いを歩いていた頃だと思うのですが、少し火が翳っている場所を歩いていたので体が冷えてきました。
少し歩き続けるとわずかに日が差しているベンチを見つけました。
そこで一旦休憩を取ることにしました。
実家の家族が送ってくれた焼き菓子を食べながら水筒に入れてきたほうじ茶をここで飲みました。
川沿いというのもあるのかもしれませんが寒くてなんだか寂しい気持ちになりました。
まだまだ今日の目的地までは4km弱はあるはずです、気合が必要でした。

これがよく聞く権太坂か!
これがかの有名な、権太坂には違いない。

画伯の雑記 – 2024年1月15日
色々なところで何度も耳にした権太坂に初めてやってきました。
江戸を出発して保土ヶ谷までは気力も体力もぼちぼちに当時の人達も来れたと予想しますが、権太坂が最初の地形的な難所といっても過言ではないでしょう。
当時を正確に知る事はできないので、たとえば治安であったり物価であったり、天気が崩れやすい地域等の当時の旅人にしてみれば権太坂以上の難所がもしかしたらあったかもしれません。
それでも地形的に一番最初に目立った変化が感じられたのは間違いなく権太坂だった事でしょう。
現代のアスファルト舗装された道ですが大変でした。

大変な坂だったけれど、人の往来は結構ありました。

画伯の雑記 – 2024年1月15日

意外な事に徒歩での往来が頻繁にある事に驚きました。
老人向け施設の送迎車が何度も行き来するのを見かけたのと同時に、たくさんの学生さんが行き交うのも見かけました。
小学生から高校生までみんな一生懸命坂を上り下りしていました。
道中、電動自転車に乗った主婦の方を見かけたのですが、電動自転車でも権太坂はキツそうでした。

またトイレに行きたくなってきてしまった

画伯の雑記 – 2024年1月15日
先ほどの休憩のほうじ茶がまわったのかトイレに行きたくなってきてしまいました。
この辺りの地理に詳しくないので全くトイレの場所の検討がつきませんでした。
少し大きな停留所にトイレのようなものがありましたが一般利用できるかわからないので諦め、東戸塚駅まで我慢する事にしました。
もう少しでしたから。

昔風の道標

画伯の雑記 – 2024年1月15日
昔風の意匠なだけで書かれた内容は左が旧東海道、右が環状二号線と書かれているだけでした。
まだ見に行かなければいけない場所があるのか、トイレも行きたいし疲れてきたしどうしようと少しため息が出ました。
何か旧東海道関連の施設があって見落とさずに回らねばという強迫観念のようなものが芽生えていたのでよくないですね。
昔の人たちでも嫌々歩いていたり、仕事のために往来していただけの人も沢山いた事でしょう。
物見遊山や江戸見物、お伊勢参りに向け楽しい気分で歩いていた人ももちろんいたでしょうが、そういった人たちでも楽な道があればそちらへ、興味がなければパスしていたはずです。
ある程度楽するのこそリアルさの追求な気がします。

そら餅もたべたくなるよな

画伯の雑記 – 2024年1月15日

昔この辺りで餅屋が商いをしていたそうで、そこから焼餅坂と名付けられたそうです。
最高の出店場所だったと思います、当時一等地だったに違いありません。
権太坂を越えてきた人も反対に西から来た人も、いずれも坂を登ってきたわけですから、双方向からのお客さんが見込めた事でしょう。
まだお餅を売っている場所があれば、いやせめてコーンスープを売る自販機があれば僕もお金を使っていた事でしょう。
生憎そのようなものはなかったのでトイレを堪えつつ一生懸命東戸塚駅を目指します、がんばれ後少し!

東戸塚駅に到着

画伯の雑記 – 2024年1月15日
東戸塚駅周辺は沢山の商業施設があり、トイレのために立ち寄ろうかとも思ったのですが施設が広すぎて迷子になりそうだったので結局駅まで歩きそこでトイレを借りました。
初めて利用した駅だったので駅周辺にここまで商業施設が固まってあるという事に驚きました。
東戸塚オーロラシティというのだそうですが、とても大きくてある種要塞のようでもありました。
イオンがあったりSEIBUがあったり、そしてオーケーがあったりと買い物には便利な雰囲気でした。

日帰りの徒歩旅でしたが全く右も左もわからない街を歩けたので旅気分を存分に味わう事ができました。
寒い中歩いたので途中トイレに行きたくなった事で困ったりもしましたが、なんとか東戸塚駅まで辿り着けました。
事前にトイレが借りられそうな場所を調べたり、ファミレス等の場所を把握しておくと良いのですが、あまり下調べをしすぎてしまうと歩く当日は答え合わせのようになってしまい詰まらなくなってしまう心配もあります。
ふと思ったのですが、江戸自体の人たちが旅をした時も東海道を旅する指南書のようなものはきっとあったはずです。
十返舎一九の東海道中膝栗毛がそれにあたるかはなんとも言えませんが、少なからず旅人にヒントを与えていたことでしょう。
トイレ問題は死活問題、ある程度は事前に下調べをしても許されることでしょう。
次回は東戸塚駅から戸塚駅、都合がつけば大船駅まで歩きたいです。

画伯


この本を持っているのですが、小さい文庫サイズの東海道中膝栗毛をリュックに常備したいです。
漫画でも良いし、できればイラストと地図等が豊富で眺めていて楽しいものがあれば良いなぁと。
上記の本以外でも東海道中膝栗毛は読んでいるのですが、再度勉強しなおしたいです。
他の方が出している東海道中膝栗毛を買って良いものがあればまたここに貼ろうと思います。

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