画伯の雑記 – 2025年2月11日 東田子の浦から新蒲原まで歩きました。

はじめに

今日は田子の浦駅から新蒲原駅まで歩きました。
自宅に戻ってきた時点での歩行距離は23.2kmでした。
駅構内等の旧東海道以外の移動距離を差し引いても20km位は歩いて来れたと思います。
久しぶりに歩数も3万歩を超え、とても充足感の得られた1日でした。

今日履いて出た、先日インターネット通販のセールで買ったスニーカーの具合も良く、ほとんど足に痛みを覚えることなく1日過ごせました。
京都の時と違い腹巻をせずに出たのですが、今日は比較的に暖かく陽の光を浴びながら歩けたので汗をかいたほどです。
カイロは一袋だけ右のポケットに入れていきました。

三重県の関周辺を歩いていた時にiPhoneがバッテリー切れを起こし、大変困ったので今日はAnkerの20100mahの大容量のモバイルバッテリーを持って行きました。(ついていない事にその時は雨がひどくモバイルバッテリー自体も濡れてしまい充電ができなかったのです。)
充電速度が遅いモバイルバッテリーな事が功を奏し、一日中使ってもiPhoneの発熱はひどくありませんでした。このモバイルバッテリーの半分ほどの容量で足りたようなので軽量化をするのであれば10000mah程度あれば1日歩いても電池は持ちそうですね。
2016年に買った古いモデルですが、入力がmicro USBな事以外はまだ便利に使えます。

京都のから東へ向かって歩いていた時よりも天気に恵まれたため、全体を通しても楽しめた1日でした。
これからしばらく続く静岡旅もきっと良いものになるはずです。

とても縁起の良さそうなスタート地点

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11月に旅を中断した東田子の浦駅から再開しました。
改札を出て振り返ると立派な富士山を見ることができました。
すぐ横が六王子神社、そして目の前には宝くじ売り場があり、なんだか宝くじを買いたくなりましたがグッと堪えました。
スタート地点で綺麗な富士山を見られると気分があがります。

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今日はずっと富士山を見ながら歩いた1日でした。
ルート上で見たマンホールも富士山が意匠に盛り込まれたものでした。

見よう歩こう富士市の東海道

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富士市が設置しているようで、「見よう歩こう富士市の東海道」と書かれた標識や看板を今日はたくさん見ました。
今日は地図を見なくても全行程東海道から外れる事なく歩けそうです。

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東海道と東海道線が交差する場所です。
JR吉原駅すぐの踏切でした。

旧東海道と書かれていたり東海道と書かれていたり、色々な標識があり僕自身もどう書けばいいか悩んでいます。
自治体等が設置した東海道と書かれた看板の場所は東海道と書くようにしようと思います。
人や乗り物の往来が現在でもあり、現役であれば道としてまだ生きており、東海道と言っても差し支えがないと思います。
箱根のように一部観光資源として存在していて、人以外は通行がほぼ無理な場所は旧東海道と言える気がします…
表記の揺れが目立つと思いますがご容赦ください。

画伯の雑記 – 2025年2月11日 東田子の浦から新蒲原まで歩きました。

ちょっと寂しげですが、この松の木と東海道の看板があるだけでも道に迷わないので助かります。
離れた場所からこの松の木が見え、おそらくこっちが東海道であろうとあたりをつけて歩いていたら、看板が見えホッとしました。

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東海道以外にも富士山登山ルート3776と東海自然歩道のバイパスルートを今日は見かけました。一部でそれらのルートと重なっています。
富士山登山ルート3776というのは海抜0メートルから富士山頂までの全長約42kmの登山ルートです。
富士山の標高に3776メートルにちなんだ名前なのでしょう。
公式サイトを見ると達成者一覧がずらりと並びます。
”世界で一番過酷なスタンプラリー(自称)”と書かれています。

富士山登山ルート3776とは、富士市が設定した海抜0メートルから富士山頂(標高3776メートル)を目指す全長約42キロメートルの登山ルート。富士山の眺望や恵まれた自然によって形成された観光資源など、このルートでしか味わえないオンリーワンの魅力が満載です。
依田橋の一里塚跡

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左富士神社の奥に公園がありました。
公園にはトイレがありました。(和式でした)
ベンチと水道もあったのでここで5分ほど休憩をとりました。

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富士急静岡のバス停 新橋バス停です。
例によって本数はとても少ないです。

平家越えの碑

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平家と源氏の富士川の戦いに関連した碑です。
治承4年(1180年)の戦いで水鳥の音に平家軍が驚き敗走した故事に因んでいるそうです。
写真の奥の立派な碑自体も1924年に建てられたものなので結構な古さです。
諸説あるとは思いますが、この戦いがあったとされるのも東海道が1601年に本格的に整備されるよりもだいぶ前の出来事で、中世の事です。
江戸時代の人達にとっては400年以上前の出来事をどのように捉えていたのか気になりますね。
僕のような捻くれ者は鳥の音でびびって敗走って、流石に話を盛りすぎじゃないか?と言っていたかもしれません。

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東海道を歩いていると見かけることの多い丸型ポストです。
特に東海道沿いは現存率が高い気がしています。
このポストより後の時代、まだ最近とも言える時代に設置されたポストでも今月中に撤去されると書かれたポストを見かけました。

岳南電車の吉原本町駅

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タイミングがあわず岳南電車の車両は見られずじまいでした。
乗った事がない鉄道会社なので気になりました。

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この商店街を歩いている時に東京電力の営業所を見かけました。
後述しますが、今日は歩いて50ヘルツから60ヘルツの地域に入っていきます。
小学校の社会や中学校の地理で習ったまさにあの地域を今日は歩きます。
東海道新幹線も50ヘルツと60ヘルツの両方のエリアに跨って運行されていますから、富士川以東の区間は周波数変換変電所で周波数を変換しています。
東海道新幹線は60ヘルツで走っているからです。
電源周波数の影響があるのか、岳南電車は電源周波数の境である富士川を超えて走らないので、運用されている列車も関東から譲り受けた車両が多い事も興味深いです。
同じ県内にある大井川鐵道などは同じ電源周波数帯の関西を走っていた車両を譲り受けていたりします。
同じ富士市内でも東京電力管内と中部電力管内に分かれていたりするのです。
今でもコンセントに差して使うタイマーなどで50ヘルツと60ヘルツの切り替えスイッチが残っていたりします。
スマートフォン全盛期なので意識することは減ったかもしれませんが、今でもビデオカメラやデジカメでも蛍光灯のチラつきを軽減するために50ヘルツと60ヘルツの切り替え設定があります。
例えば自宅は60ヘルツエリアにあるのに、学校があるのは50ヘルツの地域で学校行事を撮影しようと思ったら切り替えなければならないという不便を経験されている方もいらっしゃるかもしれないですね。

吉原中央駅バスターミナル

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富士急静岡バス(富士急グループ)や石川タクシー富士運行のバスのターミナルです。
待合室、トイレ、自動販売機の設置がありました。すぐ近くにタクシー会社の乗り場もあり便利な場所だと思います。

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再び丸型ポストを見かけたので記念に撮影しておきました。
旧東海道沿いを歩いていると、丸型ポスト、酒屋、お米屋、タバコ屋がずっと昔からここにいるんだぞという雰囲気で残っていたりします。
ノスタルジーや発見した喜びのようなものを感じ時々こうして写真に撮っています。

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案内標識の静岡までの距離が40kmを切りました。
僕の体力を現実的に見積もってもあと数回でJR静岡駅近くまで到達できそうです。
新幹線の駅もありますし、静岡や掛川まで辿り着ければ楽になります。

間宿本市場

なぜか間宿には”あいのしゅく”とふりがなが振ってあったのですが、本市場にはモトイチバとふりがなが振ってありませんでした。こちらは旧東海道表記でした。表記の揺れを気にしてはいけません。僕も決めかねています。

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この近くで何台も教習車を見かけました。
東海道を歩いていると自動車教習所の自動車をよく見かける気がします。滋賀県を歩いた時も近くに大きな教習所があるのが見えた気がします。何かしら社会学的な関連性があるかもしれません。イトーヨーカドー出店地域の近くにも教習所がある確率が高く、決まってイトーヨーカドーに教習所の申し込みカウンターが設置されていたりするのに似ています。

旧東海道本市場一里塚

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気づけば製紙関連の工場が多いエリアを今日は歩いていた気がします。
東海道沿いに沿っていろいろな会社の製紙工場とその関連施設を見かけました。
旧東海道本市場一里塚の周辺も王子製紙の関連施設がいくつかありました。

札の辻跡

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高札が建てられていた事に由来します。
神奈川県では道祖神をよく見かけましたが、ここは猿田彦大神の石碑が設置されていました。
猿田彦大神の石碑は都内にもありますが、ぱたりと道祖神を見かけなくなり地域の信仰が変わったのだなぁと感じました。

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この消火栓のマンホールも静岡県内に入ってからよく見かけるようになりました。
かぐや姫と富士山が描かれています。
富士市にはかぐや姫の伝説の竹藪が現存しているそうです。とても素敵なマンホールで雅な感じがします。

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道標と常夜燈です。
静岡県内に入ってから見かける常夜灯に秋葉山と書かれたものを見るようになりました。
火防の神である秋葉信仰に由来するものです。
神奈川県でよく見かけた道祖神はめっきり見かけなくなりました。
代わりに神棚のようなものは見かけるようになりました。
地続きで徒歩移動できる範囲内でも土着信仰の形態が変わっていくのが興味深いですね。

いよいよ富士川をわたります

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富士川渡船場の碑が水神社の境内に設置されています。
そこそこ富士川は水量もあり川幅も広いのが渡ってみて実感できました。(富士川の本支流は水力発電施設が多く、これでも勢いが落ちているのだそうです。)

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左側の記念碑には大正13年8月竣工と書かれています。
先述した平家越えの碑と同年ですね。
100年以上前ですと既に自動車は登場していますが、本格的なモータリゼーションの前ですから、先見の明がある橋の設置だと思いました。

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当時渡船もとても大変だった事でしょう、水神社が富士川の真横にあるのも納得です。
この場所からは立派な富士山が見え、川が流れている、神様を祀るしかないと当時の人は感じたのがよく分かります。
今でも盛んに車の往来がありました。

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100年前の人もこの橋を渡り、富士川の流れに驚き、そして立派な富士山に感動したり畏怖していたのでしょうね。
思い出に強く残りました。

画伯の雑記 – 2025年2月11日 東田子の浦から新蒲原まで歩きました。

路上にこのように貼られたタイプの案内を富士川を渡ったあたりから見かけるようになりました。
同時に道が曲がりくねっていたり、登りや下りが増えてきます。
リアル東海道感が増していくとも言えます。

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JR富士川駅も近いですが、すぐに新蒲原駅もあるのでゴールにするのであれば近くにイオンタウン等もある新蒲原駅の方が便利だと思い今日はもう少し頑張る事にしました。

画伯の雑記 – 2025年2月11日 東田子の浦から新蒲原まで歩きました。

箱根で見た国土交通省関連のコンテナにも同じ意匠の弥次さん喜多さんが描かれていた気がします。

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今日見つけた3箇所目の丸型ポストです。
丸型ポストは末長く残って欲しいものです。
昔は東海道沿いを郵便局員さんがまわって集荷をしていたでしょうから、効率の良い東海道沿いに郵便ポストの設置が多いのではないかと、そう予想しています。
旧東海道の各宿場に飛脚がいたのが郵便ポストに変わってきたのではないでしょうか。
近くにあって他の小型のポストは近日中に撤去されると張り紙がされていました。
三島市と異なりポストには海抜表記はありませんでしたが、海抜が書かれた看板を静岡県内の東海道を歩いていると頻繁に見かけます。
富士山登山ルート3776の看板にも海抜が書かれていました。

小休本陣常盤家住宅

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幸いにも今日は開館日だったようで中を見学させてもらう事ができました。
坂を登ったところにある立派なお屋敷でした。
富士山も綺麗に見えました。

岩渕の一里塚

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写真は割愛しましたがきちんと対であります。この辺りで同好の人達なのか一里塚を見学している他の旅人達を見かけました。

画伯の雑記 – 2025年2月11日 東田子の浦から新蒲原まで歩きました。

全身黒ずくめで歩いている旅人を見かけました。
帽子からリュックから靴まで。
視認性が悪いなと思いました。
自分も地味な色が好きなのですが、旧東海道を歩いていると派手な色の服やリュックを背負って歩いている旅人を見かける理由がわかった気がしました。今後リュック等を買う時はそういう事も考えていこうと思いました。

画伯の雑記 – 2025年2月11日 東田子の浦から新蒲原まで歩きました。

説明の看板が無い常夜燈もいくつか見かけました。
あまりに風景に馴染んでしまっていますが、注視すると秋葉山と彫られているので、あぁこれは再現した物ではなく昔に設置された物なのだろうなと察する事ができます。

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まるで暗渠の中のような地下道を進みます。日が落ちてからや大雨の時は歩かない方が良いかもしれないと思いました。
真上を東海道新幹線が走っていました。

画伯の雑記 – 2025年2月11日 東田子の浦から新蒲原まで歩きました。短い区間ですがまた上り坂でした。これを上り切り東名高速道路の上の橋を渡ればしばらくは下りでした。

中部電力管内へ

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中部電力のマンホールを見かけました。
東海道と東名高速道路に挟まれた場所でした。
滋賀県を歩いていたときに売られている新聞が中日新聞に変わった地域の事もふと思い出しました。

画伯の雑記 – 2025年2月11日 東田子の浦から新蒲原まで歩きました。

地図上で線が引かれているのはもう少し手前の場所でしたが、静岡市と富士市の境です。
そこまでの苦労はしていませんが、それなりに達成感を感じました。

静岡県静岡市清水区蒲原

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静岡県静岡市清水区蒲原周辺です。
この辺りでは消火設備に東海道のステッカーが貼られているのを何箇所かで見かけました。

38番目 蒲原宿の一里塚跡

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最初の一里塚は大津波で流され現在の位置に移動したと書かれていました。
三島に入ってから見た錦田一里塚が28番目の一里塚でしたから、十里進んだわけです(40km弱)、近い距離ですが地域の雰囲気が変わったのを感じます。
三島はまだ関東に近く、東京への通勤車の話も聞きますが、今日は名古屋ナンバーの車が路上駐車されているのを見かけました。
名古屋が近づいてきています!
まだまだ静岡県の徒歩旅は続きますから、どのように雰囲気が変わっていくか楽しみです。

東木戸の常夜燈

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説明によれば1832年のものと考えられているそうです。
崩れかけている部分もあり、おっかなびっくり横を通り地図を見ました。

なかよし公園で休憩

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トイレ、ベンチ、水飲みと手洗い場の設置がある公園でした。
ここで一旦ベンチに座り10分ほど休憩をとりました。
ついでに気温と湿度を計測しました。
21.9℃、28%でした。
今日はほぼ全区間日当たりが良かったので歩いていて楽でした。

画伯の雑記 – 2025年2月11日 東田子の浦から新蒲原まで歩きました。

今日見た最後の懐かしい郵便ポストです。
この近くで左折して旧東海道を離脱して新蒲原駅に向かいました。
高架の下を通って駅入り口に向かうのですが、そこそこ交通量があるのでご注意ください。

今日は新蒲原駅をゴール地点とする。

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新蒲原駅前に設置されていたタイルです。
各宿場が描かれたタイルでいくつか写真に収めました。
駅前には大きなイオンタウンもあり、スタートとゴール地点にするには都合が良いと思い、今日の旅はここで終わりにしました。
改札外にもトイレがあり便利でした。(和式だったと思います。次回の旅で確認できたらします。)

画伯の雑記 – 2025年2月11日 東田子の浦から新蒲原まで歩きました。

JR東海エリアから自宅のある東京の最寄駅はJR東日本への移動になるため、すこしややこしいです。
ICで移動してしまった場合で駅員がいる改札で説明する必要があると事前に教わっていたので、面倒に感じたので新蒲原駅で自宅最寄駅までの紙の切符を買いました。

あとがき

新蒲原駅に着いた時点ではまだ体力に余裕があると勘違いしていました。
ところが一旦電車に乗り座席に座るとどっと疲れが出てきたのでした。
自分でも良く新蒲原駅で切り上げられたと思いました。
頑張れば次の蒲原駅までは行けたと思いますが、新幹線を利用するにしても在来線だけで東京駅まで帰るにしても1時間以上はかかります。
日帰り旧東海道旅徒歩旅の宿命です。
次回以降しばらくはまだ東海道線の近くを歩いていくので心理的安心があります。
まだまだ静岡編は続きます、最後までお付き合いいただけたましたら幸いです。

画伯

文字数と掲載写真枚数がとても多いので後日加筆修正見直しをします。
最新ではない情報、間違った情報が含まれている可能性もあります、ご了承ください。

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