画伯の雑記 – 2025年1月7日 三条大橋からJR石山駅まで歩きました。

はじめに

箱根から東田子の浦館の旧東海道旅の記事の執筆が遅れています。
写真の編集を終えて文章も書いていますが、まだまだ時間がかかりそうです。
順番が前後してしまいますが、先に今日の旅から掲載します。
後日この冒頭の注釈を削除します。
しばらくは写真だけでも公開し、後で思い出した事があれば加筆していくスタイルでいこうと思います。
そうしないといつまで経っても旧東海道旅の記事が他の投稿の足を引っ張ってしまうので…

この好機を活かすのだ!

今日は三条大橋からJR石山駅まで歩きました。
本当は東京から西へ西へ進めたほうが良いのですが、せっかく京都にしばらく滞在しているので京都から東に向かって旧東海道旅を進めていく事にしました。
とは言ってもめちゃくちゃ頑張れたとしても三重県の関、現実的な予想では草津あたりまでではないかと見積もっています。
あいにく三条大橋は今滞在しているところから少し距離があったため地下鉄でスタート地点まで移動しました。
そのため厳密には旧東海道を歩いただけの歩行距離ではないのですが、JR石山駅到着時点では18km歩いてきました。
大体駅構内の移動やスタート地点とゴール地点等の付随した移動が3kmほど加算されるので、毎度の移動距離の目標を少し低めに設定しておくほうが良いです。
すごろくの様にはいかないので仕方がありません。

弥次喜多像をスタートとゴール地点としよう。

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弥次喜多像です。
フィクションのキャラクターですが、下手な実在の人物より有名な弥次さん喜多さんですから、そら立派な像も建ちます、
僕の中での旧東海道旅のゴール地点とスタート地点をここに定めました。
本当にでも弥次さん喜多さんの用に2人旅をした人たちも多くいたでしょうから、全部が全部フィクションともいえないでしょう。
十返舎一九も色々な人の旅の話をヒヤリングして買いていたはずです。
でも本当に当時彼らの様に江戸から京都まで旅をするなんて話、相当羨ましがられた事だと思います。
今の時代の豪華クルーズより難易度は高かった事でしょう、基本は自分の足が移動手段ですから。

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昔父に連れられてよく来た本家 舩はしやさんです。

京都の三条大橋のたもとにある船はしやさんでよく父の好きなあられを買います。僕は豆いたや金平糖を。ふと10年ほど前まで船はしやさんの軒先にいた九官鳥の豆チャンの事を思い出してみました。そして最近見ているしゃべる九官鳥のYoutubeどうがのお話。

あいにく今日はお休みでした。機会があれば再訪し父にお土産を買いたいです。

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東海道と三条大橋について触れられているものに必ず登場する擬宝珠刀傷跡です。
みんなが触るのでツヤツヤにてかっていました。

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三条大橋の辺りは頻繁にくるエリア名なので文章は割愛し写真だけにします。

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スタート時点では天気に恵まれている、やったーと思っていました。

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三条大橋から蹴上に向かう道中、東山にある大好きな祇園饅頭の工場直売所の近くを通ったので立ち寄りましたが、こちらも舩はしやさん同様にお休みでした。また美術館に来るついでの時にでも立ち寄ります。

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いろんな人におもしろいやろと話している京都にある滋賀県人会館です。
東山区にあります。
今日僕は徒歩で滋賀県を目指しています。
こんなに近い距離にあるという事がとても面白いですね。

蹴上

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蹴上発電所です。
ヨーロッパ的、学生時代を過ごしたイギリスにもありそうな建物です。

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このねじりまんぽも上の蹴上発電所に関連があるといえます、蹴上インクラインの下を横断するための建造物です。
まんぽがとんねるを意味します、ねじれたトンネルというわけです。

車石

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地下鉄東西線ができ、三条通が4車線になりました。
元々京阪京津線の軌道があった名残?遺構を再利用し旧東海道に関連する車石を展示してある場所です。
トイレ等はありませんが日当たりがよかったのでここで休憩しても良かったかもしれません。

ぐっと旧東海道らしさが出てくる

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京都府道143号四ノ宮四ツ塚線と旧東海道の分かれ道です。
この先を進むのですが、少し箱根を歩いた時に似ているなと感じていました。
細く少しくねった道を登っていくのですが、道沿いに割とびっちりと家が立っているところがとても似ています。

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探せば手前にもあったかもしれませんが、今日初めて見た東海道の石碑の案内です。

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細い坂道の向こうに山がちらりと見える感じも箱根に似ています。
大きな道路と車ばかり写っていて割愛してしまいましたが、蹴上からここまでも九条山の麓を歩いて来たとも言い換えられます。(それでも登り道ですが。)

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山科も東西線の駅があるので、旧東海道旅を歩きで進めていく上では便利ですね。
僕が関西在住だったら数キロに小分けして東西線沿いに旅を進めていたかもしれませんね。

史跡 五条別れ道標

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右ハ三条通 左ハ五条橋・ひがしにし六条大佛・今ぐまきよ水道と書かれているそうです。
京都薬科大学の近くです。
この道標はかなり親切なので当時の人にはありがたかった事でしょう。
いずれの方角も当時から人の流れが多かったのでしょう。

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京都洛東ライオンズクラブが設置した石碑です。
関東でも旧東海道沿いを歩いているとライオンズクラブが設置した海抜表示板をよく見かけました。

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時々は見上げる高さに東海道の案内が貼られています。
月まで見えました。

滋賀に入りました!

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滋賀から京都を振り返った図になります。
ただ、この辺りから滋賀県と京都府の境に沿って歩いてくので徒歩で滋賀県道・京都府道36号大津宇治線を歩いていくと、厳密に見れば県境を何度か跨いでいたかもしれません。
京都滋賀の看板を何度も見たのと、停車している車のナンバーも京都と奈良が何度も入れ替わりました。

車石についての説明

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大津八町筋から京都三条大橋にかけて約12kmにわたって牛車専用道路として花崗岩が敷き並べられていたそうです。
ものすごい事です。
それだけ大事な物流の大動脈だったのでしょうが敷設はすごいプロジェクトだったに違いありません。

東海道、国道8号と1号の重複区間

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この辺りでさっき出たばかりのまた京都に近づきます、国道1号線を越えて、そしてまだ戻って来ます。
八軒屋敷町は京都側ですが、すぐにある交番は滋賀県の大津警察署藤尾交番です。
滋賀県道・京都府道35号大津淀線が県境上を走っていて面白い地域です。

東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点

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追分町の看板とは関係ありませんが、後ろに貼られたお伊勢周りのポスター、今日歩いたエリアで本当にたくさん見かけました。
今でもみんなで揃ってお伊勢さんに行く、江戸時代の文化が継承されて来た様でなんだか楽しいですね。

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京阪沿線を歩く1日ともいえます。
この後何度も見ます。

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このタイプの標識風看板が設置されているのも何度か見かけました。色々な意匠の旧東海道の案内がありますね。

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大津算盤の始祖に関する案内です。
近くの京阪電気鉄道京津線大谷駅にも似た案内が設置されていました。
大人になってから身についていて欲しかったスキルのトップ3に算盤は入る気がします。
余談ですが沖縄は算盤文化が強いそうで羨ましいです。

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逢坂の関

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ベンチ等は見かけませんでしたがここでやっとトイレ休憩が取れました。
途中スーパーがありましたがトイレの貸し出しはしていませんでした。
当初の予定ではスーパーでトイレを借りて昼食を買うつもりでした。

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キロポストを探すのをすっかり忘れてしまっていました。
もしかしたらいくつか見落としているかもしれません。
国道1号線と旧東海道、重複区間ばかりではないので仕方がないです。

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東海自然歩道逢坂山歩道橋です。
これもいつか歩いてみたいのですが、旧東海道を踏破しない事には無理です。
環境省のページには延長は1,748kmあると書かれています。

「国立公園に、行ってみよう!」の東海自然歩道ページです。

まぁいつかはという憧れで。

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もう一つの逢坂の常夜灯です。

名神高速蝉丸道路橋

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横は京阪、頭上は名神高速が走ります。

大津市内

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専用軌道ではなく街の中を京阪電車が走る大津らしい道路標識です。

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この度の道中見かけた銭湯の一つです。
大津で見つけたものは小町湯という名前でした。
滋賀県でも銭湯に行ってみたいですね。
スーパー銭湯もちらほら地図上で見かけるので、気になっています。

画伯の雑記 – 2025年1月7日 三条大橋からJR石山駅まで歩きました。

大津市で見かけたマンホールです。
かなり凝ったデザインです。

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京阪電車を見かけた後、次の写真の辺りまで歩く頃に雪が勢いを増して来ました。
積もるほどではありませんでしたがはっきりと降っているのがわかるほどでした。
道中頬に冷たいものが当たっていたのですが、雨か雪かは確信が持てていませんでしたが、市街地に入り雪だとはっきりわかるほど勢いを増したのでした。

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この度の道中気づいたのですが、東京から京都に向かって歩いた場合に見やすい様に色々なものが多く設置されていた気がします。
逢坂山も反対車線側に絵の様なものが貼られていましたが道路を横断できなかったので近くでは見えませんでした。
この蓋も左車線側でしたが京都側が上を向いていた気がします。(記憶違いか、たまたまの可能性もありますが…)
京都側から歩いて来て見えるにも設置されている看板も多数ありましたが、両方面から見える様に均等に設置するのは大変ですからね。

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東海道と書かれた看板に加えて、このタイプの看板をいくつか見かけました。
だいぶ助かりました。
それとべんがら塗りの家も何軒か見かけました。
10代の頃祖父に連れられて滋賀県までべんがら塗りの家がいくつか建つ地域にまで来た事を思い出しました。

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上の掲載した側溝の蓋と同じ意匠の看板です。
丸の中に東海道も模した道の絵と東海道と漢字で書かれたものです。
個人宅や個人商店の壁によく設置されていました。よく見ると手描きでした。

かっこいい名前にも東海道と繋がりがあって

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晴嵐!
とてもかっこいい名前です。
近江八景の一つに膳所から瀬田までの松並木を描いた粟津の晴嵐があります。
昭和初期までは500本ほどの松並木があったそうです。
箱根を歩いた時に見た杉並木はまだ約420本ほど残っていました。
松と杉ではまた事情が異なるのかもしれませんし、道路事情等もあるのでしょうね。
これも東海道に由来のある名前で、松並木の枝葉が強風でざわめく様子から名付けられたそうです。

詳細は下記のリンク先をご参照ください

琵琶湖観光情報

近江八景の一つ。東海道の膳所から瀬田までの松並木を描いた「粟津の晴嵐」は強風に枝葉がざわめく様子から...
朝日放送 歴史街道 ロマンへの扉
https://www.asahi.co.jp/rekishi/04-05-05/01.htm

次回始めやすい場所で今日の旅を終える事ができました。

画伯の雑記 – 2025年1月7日 三条大橋からJR石山駅まで歩きました。

今日の旅はJR石山駅で終わりました。
旧東海道からは松原町西という交差点で曲がってJR石山駅に向かいました。
JR石山駅は旧東海道沿いと言っても良い近い場所にあるので次回のスタート地点にするには都合が良いです。
京都滋賀間は私鉄とJRの駅がいくつか旧東海道の近くにあり、今日歩いたルート上にも京阪京津線沿いに東横イン等もあったので京阪沿線で旅を終えるかJRの駅の近くでやめるか悩ましいですね。
京都から東京に向かって歩くのと、東京から京都に向かって歩くのでは宿選び等も変わってくるのかもしれません。
例を挙げると箱根の峠も西側と東側で宿の数やバスの利便性が変わってくるので、関西エリアの旧東海道旅も続けていくとわかってくる事があるでしょう。、
それが今日の気づきでした。

画伯

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