画伯の雑記 – 2023年12月4日 骨になったのにそこにまだいる。

画伯の雑記 – 2023年12月4日

楽土は海の向こうかお空の上か、寒いところで苦しんだ祖父だから温かいところに帰れると良い。

今日は祖父の火葬の日でした。
この日もえらくシステマチックに物事が進んでしまい、圧倒されている内に終わってしまったのでした。
悲しみに浸らないように、名残惜しさが尽きない気持ちを断ち切るために、淡々と進むのでしょう。

火葬には時間がかかります。
その間に親戚が待機室に集まり食事をし、思い出話に花を咲かせたり先に楽土に帰った祖母の写真をみんなで見て過ごしました。
祖母と我が家の女性陣は似ておるなという話題になり、パッと微笑む祖母の顔が脳裏に浮かんだのでした。
祖父母に連れられて行ったピクニックの時の事が事細かに思い出されます。
プラスチック製の白いピクニックバスケットにパンパンに詰められていたお弁当や中身の割にゴツい当時の水筒などをなぜか不思議と鮮明に僕は思い出してしまうのでした。

焼き上がったなんて表現はしないけれど、ご遺族様指定の部屋にお越しくださいと館内放送が流れ、指定された棺を送った部屋にみんなで戻りました。
お骨になった祖父はびっくりするくらい祖父のままで、係員のおじさんも偉く立派な骨ですねと驚いていました。
病院のベッドで布団がかけられていた時よりも骨になってしまった状態の祖父の方が、その骨が作り出すフォルムが生前の祖父のシルエットを鮮明に体現しているのでした。
本当に立派、いや立派すぎる骨で骨格標本をそのまま横たえただけのような祖父の姿に一同呆気に取られていたのもありました。
びっくりしたことに係の方が手を合わせたと思ったら間髪を入れず「失礼します」と告げ竹と木で一対になるお箸でガシガシと少し難儀しながら骨を砕き始めました。
足の方から頭の方へ順番に骨壷に入れてあげてくださいと促され僕と母と叔父で頑張りました。
親戚の子達は僕よりもまだ若くたじろいでいて、圧倒されたままでポカンとしている感じでした。
その後意識が戻ってきた親戚メンバーも箸をとり一生懸命骨を骨壷に移しました。

シベリヤ抑留を生き抜き運良く昨日まで生き抜いた運の強さ、頑固さまでも骨に表れているようでした。

別れ花を入れる時もとても多くの花で全てを入れるのに時間がかかった事、骨を砕き骨壷に移すのにも心も体も疲れた事が強く記憶に残った1日でした。
とても寂しい気持ちが込み上げてきました。
ありがとうありがとうと心の中で何度も呟きました。

青葉市子さんの月の丘が頭にぼんやりと浮かびました。
光の粒が集まって大きな光に飲み込まれていく、そんなイメージ。
まさに南無阿弥陀仏。
癖の強いお爺さんだけれど、先に帰ったおばあちゃん、大きな光の仏さま、祖父の事をよろしくお願いします。
多分しばらくは長生きした事を繰り返し自慢しまくり、若くそちらに帰ってしまった祖母がなんとも言えない気持ちになるかもしれませんが、いろいろよろしくお願いします。

母が私の時はハワイ海に散骨してほしいと言っていました。
冗談なのか本気なのか。
でも温かい海で漂って消えていけたならばどんなに幸せな事でしょうか。

画伯

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