うめちゃんからの手紙 2018 No.192
もう直ぐ終わりを迎えますがこの夏は私、マリーちゃん、はるちゃん、そして田中さんの女四人で祖母の領地にある子供ハウスで生活しています。
女が四人もおるわけです、コメンテーター×4人と言い換えることもできます。
だいたい小競り合いが起きる時はコメンテーターAがコメンテーターBに何かを言いそれでコメンテーターBがムッとし言い返し…というよくあるパターンです。
京都生まれ京都育ちの私はある程度耐性がありますし、純度100%の大阪生まれ大阪育ちの双子姉妹だった母とおばを持つのでよく見慣れた光景ではあります。
田中さんが年長者なのですが去年同様私がリーダーということになっていて何か小競り合いが起きれば私が怒られるというわけのわからないシステムが今年も継続しており、笑いながら見ているわけにもいきません。
今日もはるちゃんがシャワーを浴びたあとにシャワーヘッドの高さを戻しておかなかったことに対しマリーちゃんが怒り喧嘩をしていました。
参考までに…私の身長が147cm、マリーちゃんが150cm、田中さんが155cm、そしてはるちゃんは187cm。
はるちゃんは皆に気を使ってシャワーを浴びた後に綺麗に毎回清掃してくれるのですが、清掃する事が一番に来てシャワーヘッドの高さを戻すのを忘れてしまうわけです。
最も背が低い私とはるちゃんとの間で40cmもの差があります。
はるちゃんとマリーちゃんはいろいろ言い合ってよく喧嘩をしますが、最近はプロレスのような感じになってきており、”なるほど”といった感じでしっかりと決着がつくようになっています。
小さなことから始まった喧嘩というのもバカにできません。
解決に至らず時には友情に亀裂が入り絶縁という事も時々おこります。
私の母は私が小学校低学年頃までまだ現役でロリィタ服を着ていました。
当時仲が良かった同好の友人の方とお茶会に行ったり、イベントに行ったり、ファミリーセールなどに行ったりとよく一緒に遊んでいました。
ブランドの歴史論をめぐり母とその友人の方で口論になり友情に亀裂が入り…服のブランドでも原理主義者や寛容な考えを持った方、デザイナーが変わってからアンチに変わるファン等々…色々な方がいます。
80年台後半に設立されたブランドで母の青春を象徴するようなお洋服たちです、今でも捨てずにすべて大事にお手入れをして保管してありますが、着ることはほぼなくなってしまいました。
母のガンバっていた時代にドストライクで映画とのタイアップなどで隆興期を迎え、青春時代の母を守り、勇気を与えてくれていたであろうお洋服なのですが喧嘩に端を発し”卒業”してしまったのです。
卒業とは言っても他にも好きなブランドがありたまえおばちゃんからは軟着陸したとからかわれていて、俗に言うフリフリな服を今でも来ています。
客観的に見ても私の母は元弁護士な事に加え超オタク女子なのでその手の議論では弁が立ちすぎますし、お嬢様育ちなので鼻につくのです。
私の目から見ると母は妬まれ小言を言われたように今振り返ってみても思います。
母は小言を言われたことに腹を立て相手に止めを刺しに行ってしまったわけです。
母は友達が本当に少なくこの友達を失ったことがショックで、今でも実は尾を引いていたりします。
最近やっとカメラが趣味の妊婦友達ができ、なんとなく日々が楽しそうにはなっているようです。
ロリィタ服のブランドの中には仲の良い友達同士でお洋服を作り、それを着て街を歩いていたことがきっかけで服作りがお仕事にまでつながりブランドとして確立したといったお話も聞きます。
こだわりが強いものどうしうまくケミストリーが起こればそのような好例もあるのでしょうが、どんなジャンルの趣味や嗜好でもこだわりを持っている人同士なかなかうまくいかないことが世情としては多いのかもしれません。
人と喧嘩をするのは嫌いです。
ですが避けては通れないのも事実です。
もしかしたら長い間親しくしていた人から怒りを買い縁を切られてしまうような事態に対峙する事がこの先ないとも限りません。
どんなに真摯に接していても、正直に接していてもダメな時はダメなのだと思います。
縁を切られてしまうのはその人の中で私が死んでいても生きていても関せず、もう知らない人なのだという強い意思表示です。
デジタル的な黒と白で言えばリセットされまた知らない他人に戻るわけで…
その人に対し抱いていた横溢な友情、愛情、好奇心、そのようなものが無形である事をなおさら強調してしまうような気もします。
人の気持ちはわからないもので、縁というのも不確かなものと捉えてきたのが世の常かもしれませんが…なにも他人に限った事ではなく自分自身も不確かなのですから仕方がないのかもしれません。
うめこ
今日の一枚
今日の一曲
エレファントカシマシ – 遁世