うめちゃんからの手紙 2017 No.165

うめちゃんからの手紙 2017 No.165

考えて考えて結論が出なかったうめちゃん。

うめちゃんからの手紙 2017 No.165

今日は学校でクリエイティブライティングのクラスがありました。

前回は自分が好きな事について書くという授業で、私は土曜日が好きなので土曜日をどのように過ごした時に幸せを感じられるか書きました。

今週の授業では自分が普段抱えている不満や腑に落ちない事を書き出してみようというテーマでした。

固定概念や周りの人もそうであるに違いないという思い込み、ステレオタイプなどを織り交ぜて話す人が私は少し苦手だなと思っていました。

先日テレビの情報バラエティ番組を見ていた際に、女性アナウンサーの方が「女性なのにコレクターなのですか?おもちゃを集めたりって男性っぽくないですか?女性なら自分を美しく見せることとかに普通お金を使いませんか?」と番組に出演されていた家中を好きなもので満たしている女性コレクターの方に質問をしていたのですが、なんかすごく腹が立つなと思ったのです。

私の母やたまえおばちゃんもコレクターです。
いろいろなものを蒐集しています。

母はライカのレンズやブライス人形、古い詩集、洒落た形のレトロな瓶、父といった喫茶店のマッチ箱などなど。
とにかくいろいろなものを集めています。
父は母の集めているものを調べきちんと撮影して記録に残し、分類しデータベースのようなものを作るのを趣味にしています、

父自身も地方のお菓子の包み紙などが好きでパッケージデザインの勉強にもなると集めています。
父は自分が好きなものを集める行為は自分自身を知るヒントになったり、単純に物事を思い出す時のきっかけになり役に立つから良い事なんだよと言っています。
私の家族にとってものを集める事は自分の好きを知るという行為、そして自分博物館のようなものを作って物事への理解を深める一種の勉強です。

目に見えないことでも例えや見聞きした言葉や歌の歌詞で気に入ったフレーズや用例などがありそれを書き留める行為もコレクションに含めてもいいかもしれませんね。
コレクションと言っても有形無形で多種多様にあります。
たまえおばちゃんも私もいろいろなものを集めています。

具体的に女性アナウンサーのどこに腹が立ったのか?と聞かれると上手に説明できないのですが、まず第一にアナウンサーの方が女性代表っぽく発言したこと、女性にだって蒐集家はいるということ、そしてお金を使えば自分を美しく見せられるという考え方、何か私が持っている価値観、私の友達と共有している考えと違うなと思いました。

色々な考えや価値観の方がいて当たり前です、けれどやっぱり自分がもっとも一般的な考えを持っているんだぞと代表者然とした女性アナウンサーの発言に一番腹が立ったのだと思います。

これは私が以前から思っていたイギリス料理をひとくくりにマズイと決めつける人が嫌いという事、関西人はこうやから!みたいにテレビ番組で決めつけて関西代表みたいにトークをする芸人が嫌いな事にも通じている気がします。
(私の家族は関西人やけれど納豆が大好きですし、お買い物をする時に値切りをするのは苦手だったりしますよ。)

クリエイティブライティングの先生もおっしゃっていたのですが、自分が嫌いな事ははっきりしていても自分が好きなものは実はぼんやりとしかわからない人が多かったり、その逆の人も多いのだそうです。
どちらかははっきりとつかめているけれど片方はぼんやりとしているのやとか。

前回の授業の事ですが、
たとえば友達とスイーツを食べる事が好きだと書いた同級生がいたのですが、先生はそれはスイーツの味が好きなのか、友達と美味しいものを食べた時間が好きなのか、それともインスタグラムに食べ物の写真を載せて友達と共有する楽しみに対して好きなのか…e.t.c

ただ好きなものを食べるだけれでもいろいろな感情や”楽しい”が詰まっているという事に気づくのも大事だと先生は言っていました。
先生は批評するわけではなく、ちょっと視点を変えたり解釈を加えてみると日常がもっと楽しくなったりより記憶に残るようになるよと教えてくれました。

「負の感情を抱く事はとかく悪い事と捉えられがちなのですが、好きな事と同様しっかりと自分が好きな事嫌いな事を見つめ直せば、なぜ嫌いなのか、その嫌いに対して解釈を変えてみた時に感情はどう変化するのか、色々意識してみて生活してみてください」と最後に先生はまとめていました。
人間って不思議で、どんなに楽しくて仕方がない時でも突然不安感に襲われてしまったりもしますよね。
好きな事、嫌いな事、そのどちらかでもぼんやりしている時に人は不安になるのかもしれません。
誰かが好きで不安になる事があるかもしれません、あるいはすごく嫌な事が隠れていて不安になるのかもしれません。
直接の解決ではないかもしれませんが、自分がなぜ怖い、嫌い、と感じているのかを少しでもぼんやりからくっきりさせ見つめ直してみれば、心持ちも変化するのではないかなと思いました。

私の経験だと、私はどもる事とアニメ声な事にすごくコンプレックスを持っていて人前で話す事が苦手でした。
なぜ苦手なのかと考えてみた時に、結局は人に笑われるのが辛かったという事が一番の理由だと思っていました。
ところが私みたいな声やしゃべり方じゃない人でも笑われる事がある事に気がつきました。
相手が話している会話への理解が浅い時に愛想笑いをしたり、全然違う事を考えて笑ってしまったり、本音を隠しているときのごまかし笑いだったり、時に優しさを含んだ相槌のような笑いだったり。

人の行動って理由や動機が伴わない事も多いのだなとも思ったのです。

真面目にきちんと話していても笑われる人は笑われるのだと気づけた時少しだけですが楽になったのは事実です。
マリちゃんは英語も日本語も話せるのですが、そのどちらの言葉を話している時もびっくりするくらい天然でぼんやりしていてわかりにくく笑ってしまう事があります。
はるちゃんは「詩人だからね、マリちゃんは。サインをもらうなら今のうちだ!」とツッコミを入れていました。
どんなにマリちゃんの会話の内容がいつも不思議でも、マリちゃんが伝えたい事は最後にはきちんと伝わってきます。

はるちゃんがいうには、マリちゃんの会話は抽象画的でまず雰囲気や情景から入って、だんだん手前にやってきてピントがゆっくり主題にあってくる感じだと表現しています。
なるほどなと思いました。

イギリス人の感性で夏が短いからこそ冬が来るのも楽しいし、夏の朝の霧がいいと言えるそんなマリちゃんは素敵やと思うのです。
海に行ってBBQをするのも夏らしさが詰まっていて素敵で楽しいのやけれど、朝の早起きが好きだな、これからやってくるであろうワクワク”直前”の感情を大事にしたいんだなっていうマリちゃんのぼんやりだけれど丁寧な感性が好きです。
みんなは楽しい真っ最中のことに目を向けがちだけれど、直前と直後にも目を向けてワクワクできるんだなって。

きっとマリちゃんは会話のロジックが少し人とは違って、マリちゃんの話し方はまず話全体のイメージを相手に掴んでもらうところから始まっている気がしています。

どことなくパンクな感じもあって、はっきり言わないけれど芯がきちんとあり周りには流されない気骨がある気もします。
もしかしたらそこにマリちゃんの奥ゆかしさのようなものも詰まっているのかもしれませんね。
ポエティックな話し方なのだ!と思いました。

結論ではないのですが、自分の好きと嫌いはきちんと見つめる必要があるのやけれど、人と接する時にはふんわりとマリちゃんのようにやさしく好きと嫌いをぼんやりさせるのも必要なのかなとも思っています。

今日は自分の好きと嫌いについて改めて考えてみました。

不安、嫌い、好き、自分のいろいろな感情をきちんと見つめようと思いました。

うめこ


今日の一曲

Death Cab for Cutie "Black Sun" (Acoustic)

Death Cab for Cutie “Black Sun” (Acoustic)

今日のリファレンス

松岡正剛の千夜千冊 / 清少納言 枕草子

今和次郎さんの考現学入門

大学院の一年生の時ぐらいに読みました。水木しげる先生もすごく好きなのですが、水木先生もみのまわりの人を漫画家業とは別にスケッチをされたり観察したり、あだ名をつけたりして、自分が好きになる人たちには共有点が多い気がします。

そんな水木さんも柳田国男や南方熊楠を研究されていました。

今和次郎さんの本 一度お試しくださいませ。

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