画伯の雑記 – 2023年9月12日 怒らないで欲しい。

無理なものは無理なのだ。

誤字脱字衍字には目をつぶってほしい。

誤字脱字衍字には目をつぶってほしい。

このブログを読んでくださってる皆様には毎度の事でうんざりしてらっしゃると思うのですが、どう頑張っても僕は誤字脱字や衍字を減らす事ができません。
とても大切な手紙やメールでもそうですし、書き直しがきくブログでも改善する事ができません。
スイッチを押し間違えたら世界が破滅する的な繊細な仕事を任される人生ではなかった事に感謝する毎日です。
書く人と見直す時の人物が同じ訳ですから間違いに気づく確率もそこまで上がらないのではないかとも思います。それで改善したら校閲の仕事がなくなる。
それでも不快感を与えないように一応できる範囲では読み返しています。鬱々とした考えが巡ると最終的にもう書かなければ良いのだ、そしたら間違いもおかさないとなってしまう事が多いですが。
大事なやり取りのメール等でも誤字脱字が多く落ち込む事ばかりです。
僕を語るメールがあなたに届き、もし文章がしっかりしていたらなりすましを疑ってください。
あと本当に酷い文章でも神経すり減らして必死で書いておるので優しく見守ってください。

自分よりスペックで勝る人たちが失敗するのだから…

昔彷徨ったリスボンの街

もう少ししたら散歩に出てまた考えを整理したいです。

少し前からきつかったギックリ背中ですが、朝はいまだに辛いのですが日中はなんとかなってきました。
一時的な効果しか見られないとわかっていたのですが、銭湯に行きストレッチをしてくるとしばらくは落ち着くようで、それを繰り返していたらだいぶ消炎したような気がします。
医療機関にかかっても良かったのですが、ここ10年近く医療機関に恵まれず、行く事に少し躊躇いがあります。
皮膚科に通うきっかけにもなった、医療ミスを体験したのが少しトラウマにもなっています。
誤処方があり本来服薬できない薬が処方され、それに気づかず飲んでしまったところ顔が腫れ上がり酷い薬疹が出てしまい呼吸が苦しくなった事がありました。
そのあとやたらしこりや湿疹が出るようになってしまい皮膚科に頻繁に行くようになってしまいました。
ここ最近も首に腫瘍ができている可能性があると言われ手術して取り除いてもらい、検査したところ腫瘍では無く重い荷物を背負いすぎていた事により角質層が厚くなっていただけという事もありました。
その手術、抜糸の不手際があり2度担当医にアポを取り病院まで行った事があります。
縫合も抜糸も極めて雑だったのか、つい最近までするすると糸が抜けてきたりしていました。
今でもその抜い傷が痛み、寝るときの姿勢等にも影響が出ていて辛いです。
最初に誤処方をした医師もその道で有名な方、首のできものの執刀医も有名大卒と、僕では逆立ちしたって敵わないような学歴スペック最高峰の人たちです。
僕の何倍何十倍どころじゃない時間を勉強に費やし、実地で経験を積んできた方達なのだと思います。
そんな人達でもそのようにミスを起こしています。
言い訳にはなりますが、そんな人達でもミスをするのだから僕みたいな勉強もできなければ運動もできない人間に文章を書かせれば誤字脱字衍字は無くならないわけです。

近頃気分は沈んでいるけれど、楽しい事も想像できている。

楽しい事を考えて時間を無駄にしたい。

楽しい事を考えて時間を無駄にしたい。

今年の夏、北千住行きの日比谷線に揺られていると北千住駅につく直前にシャッフル再生のiPhoneからあいみょんのハルノヒが流れてきた事がありました。
本当にシャッフル再生なのかAI的なのが気を利かせたのかは分かりませんが、えらいタイミング良過ぎて怖いなと驚きました。

クレヨンしんちゃんの映画に使われた主題歌ですね。
北千住駅からクレヨンしんちゃんの舞台の春日部はちょうど1時間ほどの距離。

あいみょんは大好きだし、ハルノヒはやっぱりたくさん聴いているのですがクレヨンしんちゃんは昔から苦手で、ほとんど見ずに今まできました。
サザエさん、クレヨンしんちゃん、ドラえもん、ちびまる子ちゃんのアニメがとにかく苦手で見ているのが辛く子供時代からあまり見る事がありませんでした。
色々な原因があるとは思いますが日常が舞台であったり、家族が揃ってワイワイやっている雰囲気が多いアニメなのでダメだったというのも少なからずあります。
ハルノヒの歌詞もどこかプロポーズめいた、将来家族をといった雰囲気があるのですがそれでも好きな曲です。
ずっと昔から陰陰滅滅とした性格できており、家庭を築くというビジョンが自分には全く描けませんでした。
そんなひねくれもあって国民的アニメだ!と謳われた作品を見るとあてられてしまいクラっとくるのでしょう。

でもそんなハズレ個体の僕でも楽しいと感じる瞬間は日々にふんだんにあります。
抽象的な表現になりますが、自分のペースできちんと呼吸ができた、足を踏み出せたと感じる瞬間が暮らしているとあります。
安堵感にも近いのだと思いますが、その時に限っては多幸感のようなものも感じます。
用事が終わった後好きな曲を聴きながら駅まで家に帰る時間、銭湯の帰りのすっかり日が落ち人気のない住宅地を歩き季節を感じる匂いがした時、車で日本一周する夢を夢想しながらの散歩。
なんだっていいのです。幸せが隠れている場所を探すしかありません。
恥ずかしがらずにため息がつけ、足の遅さを咎められず自由に歩ける時間に幸せはあると思います。

画伯

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