画伯の雑記 – 2023年9月11日 なろう系について考えていた。

僕も小説家になろう投稿作品が大好きです。

昨今は小説家になろうに投稿された作品が原作のコミックやアニメが増えました。
僕も長時間電車に揺られる事が多く電車内で小説を読んだり、散歩中もAudibleで小説家になろう投稿作品原作のオーディオブックを聞く事が多く、いつも楽しんでいます。
皆様の中にも小説家になろうや角川の運営しているカクヨムを利用されている方も多いのではないでしょうか。

昨日今日はじまった訳ではない

雛形的に似た作品が多く、揶揄する意味でなろう系と一括りにされる事が多いのですが、昔話であったり、寓話、ちょっと真偽の怪しい歴史のお話なんかもなろう系に似ているものが多く、一概に最近のものだけが”なろう系”と呼ばれ揶揄されている現状には僕は違和感を覚えています。

昔話の中から一つ例をあげますと、三年寝太郎なんかは最近のなろう系と呼ばれる作品にも似た要素がふんだんに散りばめられている気がします。(実在した人物がモデルになっていると言われる昔話です。)
周りからはグズだと馬鹿にされていた寝てばかりだった主人公が、実は3年間寝ている間に考えを巡らし、目覚めてからは村の人達を災害から救うため能力を遺憾無く発揮するというのが粗筋です。
本人は実はやればできる子なのにめちゃくちゃ馬鹿にされ、虐げられてきたのに、能力開眼後は自分をいじめてきた人間たちを見返し時には救いもするというまさしく雛形的な流れです。

実はこれ国内外の映画にもある設定で、ビルの掃除のおじさんやおばさんがオーナーだったり、大会社の前にいつもいたホームレスが大株主だったパターン等でしょうか。
ヤンエグ(死語だ…)が掃除のおばちゃんを馬鹿にしたりホームレスにタバコの吸い殻を投げたりと酷い振る舞いを冒頭で行い、物語がしばらく進むと会社の存亡に関わる大失態をヤンエグがやらかす、すると前述の掃除のおばちゃんやホームレスが颯爽と現れ危機を救う的なやつです。

現代的感覚を持つと三年寝太郎の3年というのはとても短い気がします。
今叩かれているような大プロジェクトにしてみても実は発案はバブルの頃だったり、10年以上前から着手されていた事業というのはむしろ一般的です。
3年間の準備期間で何百メートルもあるビルが突然建ったりはしません。
サラリーマンが入社してすぐから携わっていたプロジェクトが退職するまでに終わら無いという事もあるでしょう。
現代的感覚で見てしまうと、たった1人の3年の思案で大規模な水害対策工事を指揮できた三年寝太郎はものすごく有能ですし、3年間寝ていた男の言葉を聞き協力した村人たちも案外悪い人達じゃ無いように思えてきますし実行に移せた村人達も有能です。

もちろん昔の人は寿命が現代よりも短かったわけですから、3年ですら膨大な時間に感じられた事の例えなのでしょう。

石の上にも3年、という諺もどんなに辛い事もじっと堪えていれば好転する事があるという例えで使われます。
コロナ禍を経た現代人からすると3年はあっという間ですが…

あえて逆説的に申しますと、3年頑張って何も成し遂げられなくても卑下することはありません。
なろう系主人公にでもならない限り無理です。
それでも無駄な事は一切ないので何年経ってしまったと考えるのをやめるのが一番です。

なろう系によくみられる主人公の特徴

  • 異世界転生、もしくは逆行転生をして最初の人生よりも成功を勝ち取る。
  • 本人の努力に関わらず労働環境が劣悪だったり人間関係に恵まれず能力が発揮できていない、もしくは感謝されていない。
    のちにザマァとリベンジする展開が多い
  • 自己投影の対象なのか、転生後の世界で最下層と思われる奴隷の幼女、もしくはスリの男の子を仲間に引き入れるパターンが多い。
  • 女性主人公、男性主人公、性別を問わず新天地では人間関係に恵まれ、金銭的に上位者に立つ事が多くハーレムを構築したり、孤児院の運営を助けたりと、最初の人生よりも濃密な関わり合いを持つ人間が圧倒的に増える。
  • 前世では労働環境に恵まれなかった形で命を終えたものが多いにも関わらず、なろうの新天地ではチート能力で他者を圧倒し結局誰よりも働き者になり、客観視すれば新天地の人間たちを技術的にも経済的にも依存させてしまう傾向が多い。

僕が不思議でならないのが、チート能力で得た経済力や魔法で他者を圧倒できる主人公達にあまりにも真面目な人間が多いという事です。前世で散々人に裏切られたり不遇な死を遂げていてもなお新しい世界で人のために尽くす主人公が多いのです。
そもそも小説家になろう投稿作品の多くが無料で定期的に投稿され、時には心無い揚げ足取りや批判に晒される事が多く、お金に繋げられる作者が少ない戦場です。
真面目な人間ばかり出てくる小説の作者は真面目な人しかいないのではないかと思えてきます。
僕は途中で物事を投げ出す事が多く、3年どころかもっと長い期間怠惰にサボってしまうクズです。
長期間心ない批評が付き纏いお金につながらないにも関わらず長期連載を続けられる作家先生方の情熱には敬服するばかりです。

上のリストで述べたように、異世界転生や逆光転生した主人公は前世での人間関係の苦労を顧みる事なく新しい人生でも苦労を重ねていく事が多いのです。
他者を能力や経済力で圧倒できるようになると、前世以上に頼られる主人公があまりに多く、前世以上に人に政治などのコマとして利用されがち。
魔王や魔物退治に行ってくれ、無償もしくは薄給であるが人類のためだと頼まれ”しゃーねーなー俺がなんとかしてやるぜ!”と勢い勇んで戦いに行く、良いように駒として使われる主人公が多いです。
聖女転生や召喚ものにしても偽聖女の方が良い生活を送っていたが、偽聖女では有事に対応できないところを、日本から転生した実は本物の聖女だった女性が自分の命を削りながらも魔王や大災害に立ち向かうという展開がやっぱり多いです。シンデレラの話のように本物の聖女でありながら最初はかなり貧しい生活を強いられる事も多く、さらに物語が進むと処女性まで求められる事が多く、人権はまずなく転生先の人間達の都合に人生が簡単にいじり倒されてしまいます。
これらの作品に出てくる主人公達がさらに不遇なのがハーレムを形成できたとしても政治色が極めて強い事、王子様たちに身染められても極めて打算的な他者の思惑が絡んでくる事、そしてプライバシーが全くなく無遠慮に人間関係を構築人たちに型に嵌められてしまう傾向が強いことも忘れてはなりません。

有名どころだとJIN−仁−の南方仁先生もそうです。
現代から彼が持って行った医療知識や技術力を抜きにしても、江戸の時代の医療現場も彼なしでもなんとかなっていた訳です、なんとかなっていた訳だから時代が続き南方仁も存在した訳で。
それにも関わらずタイムスリップした先の江戸時代で南方仁はとかく嫉妬され命を狙われ、リスクしかない大物の治療を任されたりとやたらと苦労させられていました。

結婚し家庭を築き子供がいて天寿をまっとうしたおばあちゃんが転生して聖女になりというパターンはあまり見かけませんし、大富豪でハーレムを築いていたような豪勇な男性が異世界でも同じパターンを辿るというのもまず見ません。
類人猿のハーレムで最も強いオスが群れのトップに立つも常に下剋上にさらされ時に共食いで死んでいくという構造と似ています。群れの頂点に立つと最下層にいた時よりも命の危険に対面させられるのが皮肉です。
能力が元からあっての無くても転生後は大きな責任に縛り付けられいいように人一倍働かされる主人公ばかりなのです。

フィクションでも怠惰は受け入れられないのか?

30代も後半になりますと、お酒の席であったり、だらだと話すチャットの場で人生をあの頃からやり直したいぜという話題が上がる事は一度や二度ではすみません。
ちょっと欲が出てくると異世界転生して魔法を使える様になって苦労せず、お金の心配をせず暮らしたいぜという流れにどうしてもなります。

ジャンボ宝くじが5億円!としきり宣伝をしていますが、実際のところは最大で3億円、1等と前後賞すべて当たっていて合算した場合にやっと5億という事です。
こないだ東京のとある街を歩いておりましたところ、なんと2LDKのマンションが1億2600万円で売られていました。
港区などのわかりやすく派手な立地ではなく普通の街の有名ではない会社が売り出している狭い2LDKです、マンション内にジムがあるとかコンシェルジュがいるという類のマンションでもありませんでした。
3億円の宝くじが当たっても半分は持ってかれ、税金や諸々の支払いを考えると不安になりますから仕事を辞めるわけにもいきません。
2LDKを買えるのが結婚し家庭を持てる最低ラインだと考えると、なろう系の主人公にでもならないかぎり都内でマンションを買う事が困難になる時代だというのがあまりに残酷です。
都内に先祖代々の家がある人は、自分がジャンプ系の主人公で実は優れた血統の家系で生まれながらに他者を圧倒できる秘めた能力を持っているに等しい事をご先祖様に感謝すべきでしょう。

3億円当たっても夢が見られないって異常じゃないですか?

今日明日は勿論楽しく浮かれたお酒が飲めるでしょうが、3億円を元手に持続的に遊んで暮らしたければ都内に現在住んでいる人は引っ越して他所で暮らしていく人生プランを立てるしかないでしょう。
都内では3億当たっても夢は見れません。
実はこれにはなろう系主人公と同じ問題が内包されています。

自分だけ強く豊かでもつまらないのが人生だ

三年寝太郎以外の村人達が三年寝太郎が立ち上げる前に災害対策に着していなかった事も恐ろしいです。
昔の出来事なので、教育を受けている村人がおらず、日々の生活に追われて生活を改善していく、より安全にしていく事すらままならないのです。1人がきっかけを起こしていなければ全てが失われていた可能性が高い村だったのです。
同じ事が日本の社会でも起きていて、国民の教育レベルがバラバラになってしまうと協業したり互いに問題解決のために話し合いをする事すら困難になっていきます。
賢いものは劣るもの達を賢いはずなのに理解できず、貧しいものは自分たちの苦労が理解してもらえないと境遇を嘆きます。
あのお話はたまたま村人達が三年寝太郎に協力的だったのが救いですが、現実は三年寝太郎のような傑物が育たない社会になり、彼の意見がなぜ優れていたのか理解できる村人達が育たない社会になってきています。
ポッと優秀な人が出てきた時に意見を聞ける村人で自分たちは入れるのか、はたまた追放する側に回るのか。
立ち振る舞いで村の存亡が左右されます。

異世界転生モノの主人公達達がこき使われてしまうのには主人公のジレンマがあります。

主人公以外に有能なものが不在、ならば主人公以外も有能にしてしまおう!とはならない不条理な世界観がお約束です。
その途端に主人公の優位性が失われ、活躍の場が失われます
ヤマ場が物語から消え、起承転結に乏しいお話に成り下がります。
そもそも主人公以外が有能になれるのであれば召喚魔法等で異世界から日本人を拉致しなくて良かったのですからね。
活躍の場がない主人公、それはもう日常系のお話になってしまいます。
邪悪な魔物や竜と戦える村人ばかりの世界だったら、それは桃太郎の鬼退治では無くただの日常の風景になってしまいます。

前述の宝くじにしても同様です。
自分だけ億単位のお金を労せず手にしても、街の不動産価格やサービス価格、外食にかかる費用が高騰していくこの状況下では友人が楽しかった大都会から流出していくばかりで寂しくなってしまうのは時間の問題です。
3億円だけの当選では新たに富裕層の方達と友人関係を築くには心許ない金額でしょう。
ものすごく裕福になり欲しい物がなんでも買えたとしても、このまま社会が進むとチェーン店ばかりと高級品とは名ばかりの大量生産品ばかりのお店で埋め尽くされたつまらない街になり、消費が楽しめなくなります。
高級品として売られている物の多くがグローバル化の現代では世界中で買い求める事ができ、その多くがなぜか円安円高問わず日本だけ不当に高い値付けされているものがほとんで、値段に品質が伴っていない事がほとんどです。
美味しいランチを出してくれるちょっと贅沢な気分が味わえる個人経営の店や面白いカフェ等も、3億円あっても家を買うのが不安な街には根付かないでしょう。
大手フランチャイズのお店ですら現状でも賃料に苦労しているのですから、今後はコストカットがさらに進みサービスや品質が低下していくのも仕方がないでしょう。豊かな生活を送るだけのお金の余裕があるはずなのに家の周りでは外食も楽しめなくなり宅配で高いお金を払ってファストフードを持ってきてもらう事になりかねません。
億という資産があっても地方に住む人と食べている物が同じ、そこにいずれ帰結します。
結局街がつまらなくなり、良いサービスが受けられなくなれば捨てるしかなくなり、同様の人が増えていけば街が死にます。
そうなると街を先に捨て出て行った友人達と自分がバカにしていた郊外のショッピングモールを楽しむという振り出しに戻るだけです。
3億円がまるで幻のよう。

当たる事がない宝くじなのに当たってからも幻なのでしょう。

今日は写真を掲載する事なく駄文を綴ってしまいました。
明日は何か楽しい写真を探して載せたいです。

画伯

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