画伯の雑記 – 2024年1月23日 東戸塚から戸塚まで歩いた。

迷子になる、こりゃ立派に旅ですよ。

今日は東戸塚駅から戸塚駅まで歩いてきました。
東銀座駅から日本橋道路元標まで歩いた時には及びませんが、それに次ぐ短距離行程です。
単純にGoogle Mapでルート検索をすると2つルートが提案され、どちらも距離は5km以下でほぼ1時間で歩き切れると出ます。(1時間1分であったり、1時間4分と小刻みにでて面白いです。)

今日は前回と違いトイレに行きたくなるというトラブルもなかったのですが、東戸塚駅を出てすぐにうっかりエスカレーターに乗ってしまい最初の20分くらいは道に迷ってしまいました。
1日の終わりにiPhoneの歩数計を見てみれば10000歩以上歩いてたと表示されていました。
距離は8km弱でした。
それだけ体を動かしていたことには違いありませんが、駅で迷ったり一度通った道を再び通ったりがあったので歩数と移動距離は正確なものは出せないです。
おそらく他の人であれば僕よりスムーズに移動できるでしょうから、あまり参考にならない数字でしょう。

西口から出てしまう。

画伯の雑記 – 2024年1月23日
事前にあまり下調べをしないようにしているので、うっかり西口から出てしまいました。
帰宅後に調べると旧東海道に沿って歩いて行きたいのであれば東口から出る必要がありました。
前回横を通ったオーロラシティの坂を再び登り環状2号線まで戻る必要があったのです。

少しずつ旧東海道に近づく

画伯の雑記 – 2024年1月23日

昔の人は健脚で1日で江戸から戸塚まで移動していたと書かれてるものもありました。
みんながみんな40km前後の行程を毎日歩いていたとは思いませんが、当時の人がみな揃って日本橋から出発したわけではないのですから自分だってきっちり全ての旧東海道に沿って歩く必要はないと考えてゆるくやっています。
旧東海道からは外れていましたが、途中古いお寺があったり急に曲がりくねった狭い道などがあり、それらは当時から変わっていないであろうと思い楽しむ事ができました。
道中、赤関ガードというJRの線路下の地下道を通りました。とても狭い道なのですが、ミニバンが通っていくのを見かけ驚きました。とにかくわざわざ写真に残したくらいとても狭い道でした。

やっと旧東海道に復帰

画伯の雑記 – 2024年1月23日
赤関ガードをくぐり、赤関橋まで辿り着きました。
この辺りからやっと旧東海道に沿って歩くことになります。
なんとも行き当たりばったりな日帰り旅行です。
別に近道にもなっていないし、避けなければいけないものがあるわけでもないのですが、赤関橋まで旧東海道を避けてきてしまいました。
道に迷ってしまったのとルートを調べてこなかったのが原因です。
あくまでも答え合わせをしていく旅にはしたくないのです。

小田原と藤沢が書かれた案内標識だ!

画伯の雑記 – 2024年1月23日

小田原と藤沢が書かれた案内標識を見つけテンションが上がりました。
自転車で旧東海道を目指す人であれば午前中のうちに小田原くらいまではたどり着けそうです。
こちらは徒歩、それも小刻み、小田原にたどり着けるのは今年後半くらいになりそうな気がしています。

この道であっているんだな

画伯の雑記 – 2024年1月23日

道中この意匠の自動販売機をなん度も見かけました。
実質道標を兼ねていると思います。この自動販売機が設置していたおかげで旧東海道を歩いている事、そしてこのままいけば戸塚駅まで行けるのだという安心にも繋がりました。
ノープランな旅とはいえ闇雲に歩いていては精神的に疲弊してしまいますから、大雑把でも歩いていく方向がわかると気が楽です。

画伯の雑記 – 2024年1月23日
上柏尾歩道橋です。この歩道橋にも東海道とバッチリ書かれていて安心しました。
この辺りから山崎製パン、POLA、ブリヂストンの工場が続きます。
工場にお勤めの人の来客を見込んでいるのでしょうか、フランチャイズの飲食店が数店舗あり休憩場所には事欠きません、バス停も各工場近くに多数あり助かります。
現時点で既に箱根を越える時の心配をしています。
その日が来たらどこかで宿泊を挟むか、バス停で最寄り駅まで戻り後日再スタートとするかすごく悩んでいる事でしょう。
静岡あたりでうまく青春18切符を活用できたら良いと思っているのですが、どうなる事やら。
できるだけノープランで行きたいのですが箱根は小田急ですし、今からある程度は下調べしておく必要がありそうです。

大山道

画伯の雑記 – 2024年1月23日

おおやまみち・おおやまどうとも呼ばれるそうですが、広義で言えば信仰のための巡礼街道と言えます。
こちらも関東各地に設置された社や不道堂を結んでいました。
東海道もお伊勢参りのルートでもあったと言えるので、当時の人々の信仰に対する勢いが感じられます。

画伯の雑記 – 2024年1月23日

この道標も神田三河町の越前屋小一兵衛さんが寄付して建立されたと記され今日でも読み取る事ができます。
時代の動乱や区画整理、雨風等の経年劣化等もあったでしょうがきちんと残されていることに感動を覚えます。
近年ではお地蔵さんや道祖神への悪戯が相次いでいるそうですが、とても悲しい事です。

不動坂を進む

画伯の雑記 – 2024年1月23日
とても萎える事実をあえて書きますと、たくさん歩いてきた気分ではありますがまだ横浜です。
次回もしばらくは横浜市内を歩き続ける事になります。
不動坂を進みながら途中で何度もKANACHUと書かれたバスを見かけました。
横浜駅までと書かれたバスも何度も見かけ、自分の歩みが恐ろしくゆっくりなのか、昔の人はあっという間に30、40km進んでいたのだろうか?と気持ちが圧倒されてしまうのでした。

五太夫橋

画伯の雑記 – 2024年1月23日
ブリヂストン横浜工場近く、舞岡川にかかる橋です。
石巻五太夫康敬に由来し名付けられ橋です。
愛知県静岡県神奈川県には徳川家康の足跡が今でもたくさん残っています。
すごく雑な解説になりますが家康を石巻五太夫康敬がここで出迎えたから五太夫橋になったと言われてます。
家康の権威なのか、石巻五太夫康敬の顔を立てたのか。
橋の名前も人の名前を付け後世まで残しておくと後に歴史の勉強になるので良いですね。
僕だったら安直に川から名を取り舞岡橋とかそのような名前をつけてしまう事でしょう。

こちらは江戸方見付跡と戸塚区の案内板

画伯の雑記 – 2024年1月23日
左に写っているのが戸塚区が設置している案内板です。
ちなみに大山道のところにも案内板が設置されていましたが、そちらは横浜市教育委員会が設置したものでした。
戸塚区で見かけた旧東海道に関連する案内板等は少しばらつきがあって、戸塚区区政推進課、横浜市教育委員会、戸塚区とだけ書かれたもの等いろいろでした。
保土ヶ谷区の時は区のロゴマークが入っていましたが、戸塚区では意匠が異なり僕が見つけたものに限ってですがロゴは入っていませんでした。
静岡県にはどのようなデザインの物が設置されているのか今から楽しみです。
神奈川県横浜市内だけでもそれぞれの区政の色が出ていて楽しかったです。

箱根駅伝の絵が書かれたマンホール

画伯の雑記 – 2024年1月23日
道に設置された物なので色褪せてしまってはいますが、面白い絵が描かれています。
箱根駅伝関連のマンホールは戸塚に入って初めて見ました。
沿道沿いの会社が設置した箱根駅伝の絵が描かれた看板も見かけました。
旧東海道と箱根駅伝推しのエリアですね。

国道1号線と旧東海道

画伯の雑記 – 2024年1月23日
ゴール目前です。
いつか車で国道1号を走破するなんて事もやってみたいです。
限られた区間ですが両親と国道1号を車で走った事があります。
その時は小田原保土ヶ谷間くらいだったでしょうか。
記憶が定かではないのでいずれ答え合わせをしたいです。
旧東海道と国道1号線が重なっている区間がありますが覚えていないものです。
ありきたりな表現にはなりますが、やっぱり歩いてみないと本当に日本を感じる事ができないというのは本当かもしれません。

今日のゴール地点

画伯の雑記 – 2024年1月23日

自宅で今日のルートを軽く調べていた時にアピタが戸塚駅の近くにある事を見つけました。
関東地方にいながら中部地方を感じる事がありますが、アピタもそのひとつではないでしょうか。
もうひとつは横浜で時々見かけたKINGベンダーの自販機。
赤緑青の帽子を被った髭のおじさんのあの自販機です。
あの自販機も愛知県名古屋市の企業、そしてアピタもそのルーツを辿ると愛知県稲沢市の企業。
東海道を西に進んでいる実感も高まる気がします。

今日も結局しっかり歩いた。

画伯の雑記 – 2024年1月23日
今日も結局しっかり10000歩以上歩いてしまい疲れていたので帰路の途中にある横浜駅で途中下車をし、崎陽軒の中華食堂に寄ってきました。
お昼の混雑時を避けたつもりでしたがそれでも店外で少し待ちました。
サンマー麺とミニチャーハンのセットを食べました。
美味しかったです。
ミニチャーハンだから仕方がありませんがちょっと物足りないので春巻きも頼みました。
豪遊してしまいました。
カロリーは減ったか定かではありませんがお金は減りました。
日帰りでも旅気分で浮かれていたのでしょう。

画伯

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